炎都(上巻) の商品レビュー
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時は太平洋戦争の戦時下。時田利平は、東京・三田に、時田病院を構えた。日露戦争で活躍した元海軍軍医であり、発明や研究に精を出し、一代で大病院を作るという勢い、そして成功。しかし、その成功には不穏な影が近づいていた。登場人物は主に利平の妻や子供や孫、病院で働く人々であるが、戦時下で人々がどのように生き、行動していたかがリアルに描かれている。物語の視点は、悠太、初江、夏江、利平、…と精妙に変化する。別の登場人物の視点から状況が語られることによって、物語が鮮やかになり、貧苦にあえぐ人々の生々しい現実が感じ取れる。太平洋戦争は歴史上の事実であるが、それを経験していなくても登場人物の感覚を通して追体験しているような感覚になる。 利平はモルヒネ中毒となり、松沢病院に入院となる。入院中、利平は自分の昔の日記を読む。1923年9月1日の関東大震災の様子を、利平の日記を通して垣間見ることができる。大地震による多数の被害と混乱。それに続く津波で、沿岸の地域でも甚大な被害。さらに朝鮮人に対する差別と風評、自警団による迫害と、人々の心の荒みようが伝わってくる。 苦悶の末、中毒がとれ、退院するとき利平はこのように言う。以下は、第一部迷宮9話より引用。 「貧乏漁師の八男に生れ、苦学して軍医になり、退官後は開業医として一応の成功を収めた。そんなおのれの人生行路を、古い日記を読みながら反芻してみてのう、何やら虚しい気がしちょるところじゃ。院長、医学博士、発明家、医学研究科、みんな虚しい。あれは何で読んだのかな-日の下に人の労して為すところの、もろもろの働きは、その身に何の益あらん、じゃ。迷わず一直線に猪突猛進した先が、崖から海に転落ということが人生にはある」 「でも、そういう破滅のほうが、迷ってばかりいて、何もしないより、いいんじゃないですか」 「良い悪いというより、人生とは無数の破滅なのじゃ。成功しているなどと無邪気に信じている人間ほど破滅の度は高く、崖からの転落が酷いということじゃ。反対に、何もしない無為の人間、隠遁者が真の成功者であることもある」 ここは、現世へのすさまじい執着をもつ利平が、人生を客観的に見つめた貴重な場面であるように思う。
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