カント哲学とキリスト教 の商品レビュー
カントの『単なる理性の限界内における宗教』の議論をていねいに考察している研究書。これまで『宗教論』の研究は、根源悪と現在の問題を扱う第1部に集中していたが、本書では第2部のイエス論、第3部の教会的共同体論、第4部の教会批判と、カントの宗教論を引き継いだベルン期のヘーゲルの『イエス...
カントの『単なる理性の限界内における宗教』の議論をていねいに考察している研究書。これまで『宗教論』の研究は、根源悪と現在の問題を扱う第1部に集中していたが、本書では第2部のイエス論、第3部の教会的共同体論、第4部の教会批判と、カントの宗教論を引き継いだベルン期のヘーゲルの『イエスの生涯』『キリスト教の実定性』についての考察をおこなっている。 第1章では、批判哲学と『宗教論』との関係が掘り下げて検討されている。ここで著者は、若きシュヴァイツァーの著書『カントの宗教哲学』の議論を紹介している。この書の中でシュヴァイツァーは、『実践理性批判』では個人における道徳の完成とそれにふさわしい幸福の実現として規定される「最高善」が「究極目的」とされていた。これに対して『判断力批判』では、自然を道徳化して「文化」を作り出す類的な「人間」が「究極目的」とされている。彼はこのことに着目して、『宗教論』第3部における教会的共同体論に、類的な「人間」の共同体の思想が展開されていることを、高く評価している。 著者は、こうしたシュヴァイツァーの解釈の問題点を指摘しつつも、それを考察の手がかりとして、カントの「究極目的」を単なる道徳法則の相関者としてではなく、より豊かな概念として捉えなおそうとしている。著者によれば、『判断力批判』が類的な「究極目的」という地盤を用意することで、『実践理性批判』では道徳法則の相関者でしかなかった「最高善」は、人類という全体性の中で実現されるべき理念として捉えなおされることになった。本書の第4章ではこうした観点からの考察によって、『宗教論』第3部の教会的共同体論において、自利・利他の相即する福利の達成が、全人類規模での義務だとする新しい考え方が見られることが明らかにされている。 また第6章では、『諸学部の抗争』を取り上げて、カントが神学部と哲学部との争いをどのように考えていたのかを明らかにするとともに、当時の精神史的背景にも言及して、カントが宗教に関して意見発表することを当局が禁止した理由を考察している。
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