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秀吉と利休 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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野上弥生子の最高傑作…

野上弥生子の最高傑作といわれる小説。一度は読んでみたいですね。

文庫OFF

横暴な秀吉に対して、…

横暴な秀吉に対して、静かな抵抗を試みた利休の姿に惹かれます。

文庫OFF

千利休の生涯の、権力…

千利休の生涯の、権力者のもとで茶頭としての地位を確立した五十代から、七十歳前で亡くなるまでを中心にドラマチックにえがいています。戦国時代の中で、茶の湯によって己の世界を築いた利休。だが、そんな美と知の体現者・利休と、絶大な権力を持ちながらも粗野な秀吉との確執は深まり、やがて切腹と...

千利休の生涯の、権力者のもとで茶頭としての地位を確立した五十代から、七十歳前で亡くなるまでを中心にドラマチックにえがいています。戦国時代の中で、茶の湯によって己の世界を築いた利休。だが、そんな美と知の体現者・利休と、絶大な権力を持ちながらも粗野な秀吉との確執は深まり、やがて切腹という非業の死を遂げる―。

文庫OFF

2024/02/25

 天下人となった豊臣秀吉とその相談役としての千利休がメインとなった物語。明智光秀を下した後、北条氏を討つ少し前からの時系列に沿った話になっており、人々の生活の息遣いを感じつつも最終的には全ての要素が千利休の切腹に繋がっていく内容となっていた。  私はこの物語を読む前は秀吉は自信に...

 天下人となった豊臣秀吉とその相談役としての千利休がメインとなった物語。明智光秀を下した後、北条氏を討つ少し前からの時系列に沿った話になっており、人々の生活の息遣いを感じつつも最終的には全ての要素が千利休の切腹に繋がっていく内容となっていた。  私はこの物語を読む前は秀吉は自信に溢れ派手な物が好きで豪快な人だと思っていた。けれど、読んだ後には秀吉はある意味では繊細で臆病な人だったと思うようになった。天下人になった後自分には貴族の血が流れているという噂を流布させたり、生活様式が宮廷趣味と武家趣味が混じり合ったものであったりと田舎の農民出身であることを恥ずかしく思っている節が多々見られた。そのため、人からの評価に怯え、大切に扱われなかったり少しでも気に食わないことがあると怒りに任せ人を処刑し、周りからプライドが高く機嫌次第では何でもしうると思われていた。  秀吉はまた利休に対しても鬱屈した感情を抱いていた。風情の面や政治などの相談相手として信頼を置き、諸大名を始め様々な人から尊敬を集める利休を自由にできる地位にいることに優越感を抱く一方、誰も敵わない茶道の腕を持ち秀吉の茶道を褒めることがない面には劣等感を覚えていた。  そして、二人の鎹となっていた秀吉の弟が亡くなった後、利休が義理の兄にポロッと漏らした一言を確執のあった三成に利用された結果、秀吉は利休に対し所払いをまず命じた。  利休は、寺に関する方針の違いから秀吉に追放された親友の存在であったり、愚直な部分が周りから愛されていたが真面目すぎるが故に秀吉を怒らせ刑に処された弟子がいたりと秀吉に振り回されることに疲れている部分があった。加えて秀吉が気分屋なことをよく知っており何をしてもその揚げ足を取られる可能性があったため、最初の処分の言いつけを守り続け謝罪に行かなかったために、それに怒った秀吉に切腹を言い渡された。  利休はまた多くの顔を持ち、実家の稼業である商人としての自由な面や天下一の茶頭としての権威者としての面、秀吉の部下としての相談役としての面などがあった。私は利休についても大したことは知っておらず茶道の大成者というイメージしかなかったため、こういう面があったことにも驚いた。このような様々な顔は実は利休の芸術にも現れており、茶道において詫び寂びを至高としながら黄金の茶室を作ったりしたことなどが挙げられる。辞世の言葉も自身の人生への矜持を感じさせつつ、利休の抱える美意識の矛盾を表したものとなっていた。最後まで謝罪に行かなかったのは、商人としての面が強く出ていたのではとも思われた。  二人は最後には意地を張っていたと思う。  登場人物の中に利休の三男で紀三郎という人物が出てくる。彼は思春期真っ盛りでどこに行っても自分が利休の息子としてしか扱われず、そのことを鬱陶しく思っていた。そして、決まった職に付かず結婚もせず親の頭を悩ましていた。その紀三郎が晒された利休の死体を見に行くシーンが印象的だった。そこには、生前ではあんなに尊敬を集めていたにも関わらず民衆にバカにされ文字通り見世物になっている父とその木像の姿があった。あれだけ鬱陶しく思っていた利休がいなくなっても、それで自分という存在が変わる訳じゃないことや自分にとっての利休の存在の大きさを改めて認識する。この紀三郎が利休を偉人としてではなく、あくまで一人の親として見ていたのがすごく良かった。読者として利休の物語を追ってきた私にとっても利休が遠い偉人ではなく、もっと身近な存在に感じていたためとても共感できた。  全体を通して描写が細かいが綺麗というよりは丁寧という印象を受けた。それ故一言では言えない感情が真に迫って表現されており人物を生々しく感じた。また、人物に関する理解や解釈の深さに驚かされ、思い浮かべる肖像画がそのまま動いていると感じるくらい自然だった。ただ、前提知識や背景知識の説明が長い上に度々回想のようにして挟まるため、テンポが悪いとこもあるのが難点だった。

Posted byブクログ

2012/11/28

野上弥生子さんの代表作で傑作です。 天正13年9月3日の世間でいう禁中での黄金の茶会から天正19年2月28日の利休自刃まで、史実に即しての物語です。 利休ものでは井上靖に「本覚坊遺文」がありますが、読み比べれば野上さんのほうが優れていると思います。 利休の茶というより秀吉の...

野上弥生子さんの代表作で傑作です。 天正13年9月3日の世間でいう禁中での黄金の茶会から天正19年2月28日の利休自刃まで、史実に即しての物語です。 利休ものでは井上靖に「本覚坊遺文」がありますが、読み比べれば野上さんのほうが優れていると思います。 利休の茶というより秀吉の狂気のような権力者像が圧倒的迫力で描かれています。 とくに能「明智討」に興じる秀吉と取り巻きたちを映し出す文章力の巧みさはまさに小説家「鬼女」です。 歴史家より小説家の虚構が真実を語る良い例でしょう。

Posted byブクログ

2020/04/29

文章のなんともいえないまだるっこさが取り付きにくく なかなか読みきれなかったが、やっと読むことができた。 1ケ月 近くかかった。やっと・・・読んだ という感じである。 半ばを過ぎてから 野上弥生子の文体になれてきたのだろう。 風景と心象をじっくり丁寧に描いている と 思えるよう...

文章のなんともいえないまだるっこさが取り付きにくく なかなか読みきれなかったが、やっと読むことができた。 1ケ月 近くかかった。やっと・・・読んだ という感じである。 半ばを過ぎてから 野上弥生子の文体になれてきたのだろう。 風景と心象をじっくり丁寧に描いている と 思えるようになったから不思議である。 ニンゲンはなれる動物なのである。 なぜ利休は殺されたのか? 何が秀吉を怒らせたのか? ということを知りたかったのだ。 利休の視線がよく描けている。 息子の紀三郎の存在が大きいといえる。 秀吉が もうすこし 描ききれていないが。 二人の こころの拮抗状態が理解しやすいようになっている。 宗二の石垣城でのことが、 千利休への秀吉の処置への前奏曲となっていた。 それにしても 能に関して詳しいことが書かれているので なぜだと思ったら  野上弥生子のだんなさんが能の研究者だったんですね。 千利休は 織田信長のときから 茶頭をやり 秀吉になってから 3000石の茶頭筆頭だった。 茶師が、そこまで上り詰めるというのが 不思議である。 千利休が 秀吉によって 切腹させられた理由が 『唐御陣が、明智討ちのようにいくまい』と 妻 りきの兄に話したこと。 『三門修造に千利休の像を作らせ祭ったこと』 『茶の道具を高く売りつけ暴利をむさぼった』 という主な理由がある。 石田三成が、理を持って政をしようとしていた。 千利休の存在を煙たがっていて、 唐御陣に異議を唱える千利休の言葉尻をうまくとらえた・・・ このことは 野上弥生子の推理もしくは仮説なのであるが、 じつに、まともな論であると思う。 これなくして、秀吉を怒るきっかけをつくりおおせぬことだろう。 千利休像が三門にあるとそれをくぐることで  足元をあるかせるということになるので、 秀吉のメンツがつぶれるというもの これは、茶室に入るとき にじり口をくぐらねばならない という茶の作法について、秀吉は不満を持っていた。 茶室に入れば、ニンゲンとして対等という関係のなかで、 茶道を作り上げた。 秀吉が日本においては何でもできるが  千利休の作った世界は 金の力によってつくれるものではない ということに対する 大きなひけ目が、鬱せつしていた。 千利休の 数寄 という美意識の前に ひざまつくしかなかった。 その悔しさ・・・・ この物語を読みながら 秀長 という人物の重要な位置が よく理解できた。 秀吉は、50代すぎて、鶴松が生まれ、有頂天になっていた。 わが世の春で、 唐御陣という,明さえ征伐しようとする気力に満ちていた。 そんなときに、 秀長が死ぬことで秀吉のバランス感覚が失われた。 野上弥生子 この作品を書いたのが  77歳から79歳  なんというべきか・・・。

Posted byブクログ