ベンヤミン・コレクション(1) の商品レビュー
映画ってそういうもの…
映画ってそういうものだったのか!現代では違和感なく私たちの環境となっている文化をとらえ直すきっかけになること間違いなしです。
文庫OFF
「複製技術時代の芸術…
「複製技術時代の芸術作品」等々を収録。難解です。
文庫OFF
『ゲーテの親和力』か…
『ゲーテの親和力』からはじまる。近代における美的経験の変容を縦軸に構成するアンソロジー。
文庫OFF
シュルレアリスム論や有名な「複製技術時代の芸術作品」は、「まとめ」ではなくてオリジナルを一読しておくといいと思う。通読は辛いが、トピックによってはとても新鮮で興味深い。
Posted by
ヴァルター・ベンヤミンについては、去年だか一昨年だか、日本の文庫本で何種類かアンソロジーが出たようで、流行ってるのか? と思っていた。私は岩波文庫での2冊を相当昔読んで所持しているのだが、今回、なんとなくちくま学芸文庫版を1冊買ってみた。 もちろん、既に読んだのと重複している部分...
ヴァルター・ベンヤミンについては、去年だか一昨年だか、日本の文庫本で何種類かアンソロジーが出たようで、流行ってるのか? と思っていた。私は岩波文庫での2冊を相当昔読んで所持しているのだが、今回、なんとなくちくま学芸文庫版を1冊買ってみた。 もちろん、既に読んだのと重複している部分がある。 しかし、改めて読んでみると、ベンヤミン、あまり好きではない。私よりもどうやら執着的な思考の癖があって、文章は文学的だが思想としてさほどのインパクトを感じない。それに、ちょっと読みにくい。 ベンヤミンはそんなに重要なのかなあ。よくわからない。
Posted by
《目次》 言語一般および人間の言語について ゲーテの『親和力』 アレゴリーとバロック悲劇 パリ―十九世紀の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 歴史の概念...
《目次》 言語一般および人間の言語について ゲーテの『親和力』 アレゴリーとバロック悲劇 パリ―十九世紀の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 歴史の概念について
Posted by
ベンヤミン・コレクションに収められている「写真小史」と「複製技術時代の芸術」について少し書く。これらは19世紀の初頭に書かれたもので、「写真小史」は写真が発明されてから100年ほどの歴史を、「複製技術時代の芸術」は複製技術というものが発達したことで芸術にどのような影響があるのか...
ベンヤミン・コレクションに収められている「写真小史」と「複製技術時代の芸術」について少し書く。これらは19世紀の初頭に書かれたもので、「写真小史」は写真が発明されてから100年ほどの歴史を、「複製技術時代の芸術」は複製技術というものが発達したことで芸術にどのような影響があるのかを論じている。 この二つのエッセイには一つの流れがある。それはタイトルにもあるように複製技術に関することだ。それまでの芸術は、基本的には一点もので、だからこそ本物としての崇高さみたいなものがあった。例えば西洋美術館にゴッホのひまわりの本物が来たら、多くの人が足を運ぶ。今大抵の絵はパソコンで画像として見れるけれど、本物はやっぱり違うという意識が私たちにはまだある。これをベンヤミンはアウラと呼んでいる。複製技術以前の芸術の価値はこのアウラにあったのだけれど、複製技術が出たことによってそれは薄れてしまった。写真が出来て、映画ができて、コピーが氾濫した。コピーが氾濫すると私たちはそのことに慣れていく。そして本物である、という価値は比較的どうでも良くなっていく。これに資本主義、大衆文化が重なって、様々な物が商品化され、人々は「大衆」になる。芸術の価値は揺らいで、不安定な状態に陥る。 ではその後の芸術はどのように価値を築き上げたのか。これにはベンヤミンが言うには二つの道があった。一つは薄れ行くアウラをまだ無くなっていないように振る舞うこと。ないものをあることにすることはできないだろうと思うかもしれないが、そもそも複製技術以前は「アウラ」という形で人々は芸術に価値を感じていた訳ではないから、そう振る舞うことは難しいことではなかった。「芸術は無条件に素晴らしい」と一部の芸術家は言って、それは欺瞞だったけれど、人々もそれを信じた。「世界は美しい」という、耽美主義的な標語を、ベンヤミンはやり玉に上げている。この論理が戦争を肯定することにさえつながると彼は考えた。ベンヤミンはこういった芸術の祭り上げ、アウラの捏造が、大衆の頭を悪くして、ファシストの駒にしてしまうということを危惧した。これはアーレントの糾弾した全体主義とも同様の現象だ。根拠を失った芸術を、そういうものとして利用しようと言う流れがまず一つあった。 もう一つの道は、アウラが失われたことを受け入れて、そこから芸術にできることをやっていこうという道で、これがベンヤミンが提唱していることだ。その例として彼が特に評価しているのが、映画である。映画というものの特徴は、それまでの芸術とは違って、人々がじっくりと観察して味わうことを許さないことだ。むしろ映画はめまぐるしい展開で、人々を巻き込み、くつろがせる。映画を見る作法と現実で生きる作法は異なる。この映画を見る作法が、私たちが現実を認識する新しい知覚を切り開くのではとベンヤミンは期待していた(この意味ではそれまでの芸術においても、フィクションとしての現実の再構成が、私たちの現実を形作っているとも言える)。そしてそれは私たちがアウラなき時代をどうやって生きていくのか、という問題意識を孕んでいる。 映画がどの程度人々の新しい知覚を切り開いたのか、それを見極める力は私にはない。ただ、複製技術によってアウラが消えたこと、そしてそれが消費社会や大衆社会という現代社会の特徴と強く結びついていることは明らかだ。芸術というものの価値は、現実を描くことにあると私は考えているが、その描き方、あるいは何をどう描けば「現実」になるのか、それは複製技術以前と以後とでは格段に異なっている。ベンヤミンのエッセイは、芸術と複製技術、その社会的な役割を考える上で極めて示唆的だ。
Posted by
ベンヤミン・コレクションのうち、ベンヤミンの代表的論文を集めた第一巻。「歴史の概念について」に至るベンヤミンの思考の軌跡を追うには本書が最適だろう。ただし、「暴力批判論」が抜けているのは玉に瑕か。2011年現在、『ドイツ悲劇の根源』の入手が困難になっていることを考えるとなおさらそ...
ベンヤミン・コレクションのうち、ベンヤミンの代表的論文を集めた第一巻。「歴史の概念について」に至るベンヤミンの思考の軌跡を追うには本書が最適だろう。ただし、「暴力批判論」が抜けているのは玉に瑕か。2011年現在、『ドイツ悲劇の根源』の入手が困難になっていることを考えるとなおさらその点には注意が必要だろう。
Posted by
内容(「BOOK」データベースより) ベンヤミンは、その思索の全体を通じて近代の「原史」(Urgeschichte)をイメージし続けた。ゲーテの『親和力』に見出される「アウラ的なもの」、そこからの断絶の最初のラディカルな顕われ(近代の転回)としてのボードレールの諸作品、さらに...
内容(「BOOK」データベースより) ベンヤミンは、その思索の全体を通じて近代の「原史」(Urgeschichte)をイメージし続けた。ゲーテの『親和力』に見出される「アウラ的なもの」、そこからの断絶の最初のラディカルな顕われ(近代の転回)としてのボードレールの諸作品、さらに近代からの決定的な覚醒を告げる、シュルレアリスム、ブレヒト、複製芸術という非アウラ的芸術。また、パリの近代ないしボードレール捉えるまなざしに重なるように映し出されるバロック・アレゴリーの精神。近代における美的経験の変容を縦軸に構成する、新編・新訳のアンソロジー。 目次 言語一般および人間の言語について ゲーテの『親和力』 アレゴリーとバロック悲劇 パリ―十九世紀の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 歴史の概念について
Posted by
凡例 言語一般および人間の言語について ゲーテの『親和力』 アレゴリーとバロック悲劇 パリ―19世紀の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 歴史の概念につい...
凡例 言語一般および人間の言語について ゲーテの『親和力』 アレゴリーとバロック悲劇 パリ―19世紀の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 歴史の概念について 解説 (目次より)
Posted by
- 1
- 2