ダンマの顕現 の商品レビュー
著者の仏道にかける並々ならぬ思いが伝わる。何かが直接に響いてくる。形なき「いのち」が、著者の全人格体に充溢し、大漠流となって吹き抜けるという。その「いのち」のほんのひとかけが、私にも働きかけて来ているような感覚にとらわれる。 著者に顕現した「いのち」、それへと向かい行く著者の姿勢...
著者の仏道にかける並々ならぬ思いが伝わる。何かが直接に響いてくる。形なき「いのち」が、著者の全人格体に充溢し、大漠流となって吹き抜けるという。その「いのち」のほんのひとかけが、私にも働きかけて来ているような感覚にとらわれる。 著者に顕現した「いのち」、それへと向かい行く著者の姿勢のすべてが、それに触れる私のたましいをなにがしか浄化してくれるような気がする。 「ダンマというのはダンマとしか言いようのない、実は言葉では著すことの出来ない、形のない「いのち」そのものです。今日の言葉で言うと、宇宙を貫いている「いのち」そのものです。私も今生きておりますら、命に基づいて生きている。その私の今生きている命そのものに、宇宙を貫いているいのちが通じてくる。だから当然フーッと開かれていく。‥‥その形のない「いのち」そのものが、熱心に禅定に入っている私自身にあらわになる。これが解脱の瞑想です。」 こんなにも高齢になるまで、没する直前まで、かくも真摯に仏道を求めた人を知り得ただけでも幸せであった。 「男一匹、生涯をかけた仏道は、ついにこの世では成就しないのであろうか、私はいくたび、絶望の淵に突き落とされたことであろう」とまえがきで語る。その仏道にかける情熱がひしひしと伝わり、心を動かされた。 座禅へ取り組む姿勢だけでなく、学問的な研究の情熱にも刺激された。 仏道を、こんなにも真摯に求め、しかも学問的な研究でも大きな成果を残したとは。本の最後の論文を読むと、道元の研究と、道元からの学びの姿勢が一体化しているのが良くわかる。
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