グレン・グールド 孤独のアリア の商品レビュー
(「BOOK」データベースより) 鮮烈な衝撃を残して20世紀を駆け抜けた天才ピアニストの生と死と音楽。コンサートを拒否し、スタジオにこもって生み出された、世界の果てに位置し、作品の内部から発せられる光に包まれているかのごときその演奏ーフランスの精神分析学者が、透明なタッチで奏でる...
(「BOOK」データベースより) 鮮烈な衝撃を残して20世紀を駆け抜けた天才ピアニストの生と死と音楽。コンサートを拒否し、スタジオにこもって生み出された、世界の果てに位置し、作品の内部から発せられる光に包まれているかのごときその演奏ーフランスの精神分析学者が、透明なタッチで奏でるグールドへのレクイエム。ピアノという孤独な楽器の運命を描く狂熱のドラマでもある、最もドラマティックなグールド論。
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グールド好きのスノビズムももうすっかり立場を失ってしまったかのようにみえる。グールドが好きなのではなくグールドが好きな自分が好きなんでしょうというクリシェ。 あまりにも多くが語られ過ぎたのだ。灰色の装束に身を固め北へ旅立ったピアニストの意思を蹂躙して。 伝記も音楽論も演奏家論も鑑...
グールド好きのスノビズムももうすっかり立場を失ってしまったかのようにみえる。グールドが好きなのではなくグールドが好きな自分が好きなんでしょうというクリシェ。 あまりにも多くが語られ過ぎたのだ。灰色の装束に身を固め北へ旅立ったピアニストの意思を蹂躙して。 伝記も音楽論も演奏家論も鑑賞の手引きも超えた言葉はあるのだろうか? 音楽は独りで聴かれなければならない。
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グレン・グールド 孤独のアリア 2011年01月01日 読了 ジャンル :文芸評論キーワード : 音楽論 著者:シュネデール,M.(ミシェル)、千葉文夫 出版社:筑摩書房 価格:¥ 998 Amazon.co.jpセブンネットショッピング楽天ブックス紀伊國屋書店BookWeb 音楽と書物の違いについて、考えることがある。 どちらの人間の五感を刺激するメディアだけど、より識閾下に直接働きかけるのが音楽、と普通は理解されていると思う。 だが「音楽っぽい書物」「書物っぽい音楽」も確実にある。 本書は、そんな境界線上に立つ本の一つ。 第1〜第30の「変奏」の前後を二つの「アリア」で挟み込んだ構成。一つ一つの「変奏」は、それぞれのテーマをめぐって、言葉による変奏曲を奏でる。 「振る舞い、身振り」をとらえた「第8変奏」。グールドの奇態な振る舞い……ギリギリまで下げた椅子、鍵盤に覆い被さるようにした姿勢、そしてため息、つぶやき、うめき声……。音楽的「意味」をそこに見いだすことも可能ではあるが、そうでないように解釈することもまた、可能だ。「ときどき彼は鍵盤の上にあまりにもひどくかがみこんで演奏したので、まるでピアノの上に横になって寝ようとしているように見えた。ともすればそこに自分を埋葬するかのようだった」。 「フィルター」を主題とした「第16変奏」。グールドは世界と自分との間にさまざまな「フィルター」を置いた。スカーフ、マフラー、オーバー、コート……。インタビューは常に電話越しで、秘書とのやりとりも電話か手紙。直接人と話すときも、相手の目を見ず、壁に向かって話す……等々。彼にとって「音楽」だけが「世界」とふれあうチャンネル。しかし、そこには無数のパラドックスもある──。 「孤独」について考える「第3変奏」。グールドは1964年を最後にコンサート活動から退き、脳卒中で死ぬまでの十数年間、レコードやラジオなど、メディアを通じてのみ演奏を続けた。彼は孤独を好んだ。芸術家には珍しくない資質。「だが彼の孤独には何かしら別の要素が感じられる……グールドの選んだ孤独は神に選ばれた修道女……のようなものだった。……『芸術家が本当の意味で仕事をやれるのはまさに孤独の中でしかない。外的世界についてのその人の知識がつねに制限されていて、異物の侵入のせいで彼自身の想念とその実現を結びつける一体性が破壊されたりしないような環境においてでしかない』」。自分で自分に与えた「檻」のようでもある──。 対象を論じるのではなく、対象そのものになること。批評家の究極の目標だろう。グールドの演奏さえ突き抜け、グールドの魂そのものになってしまった、すごい評論である。
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なんとか読了したぜ。 本の構成としてグールドの出世作たる、バッハのゴールドベルクヴァリエーションのようにアリアと30の変奏を模しているのは区切りがあって読みやすくなっているし、興味深い試みだとは思った。 でも、如何せん読みにくかった。特に前半部分が。 法律書を読むのとは違う読み...
なんとか読了したぜ。 本の構成としてグールドの出世作たる、バッハのゴールドベルクヴァリエーションのようにアリアと30の変奏を模しているのは区切りがあって読みやすくなっているし、興味深い試みだとは思った。 でも、如何せん読みにくかった。特に前半部分が。 法律書を読むのとは違う読みにくさ、言ってみれば京大の入試の国語の題材となるような感じ。伝記というよりも、哲学書・評釈書みたいな趣だった。 多分、原文か英語で読むとある程度すっきりするのだろうと思った。 そんな風に書いても、内容としてはとても面白かった。 グールドの音楽に対する姿勢やそれによる奇行の数々は初めて知るところやって、彼は寧ろピアニストというよりもそれに収まらない何か別個の存在のように思うようになった。 人がグールドの演奏に心ひかれるのは動と静・生と死のように相反する要素を同時に兼ね備えているからであるというのには特に同意できた。 この本を読んでみて、彼の背景や姿勢を知って、小学生か中学生の頃に聴いててみて生理的に受け付けずに、それ以来1度たりとも聴いていない彼のモーツァルトのソナタ集を聴いてみようと思えたのが驚き。
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