文学じゃないかもしれない症候群 の商品レビュー
随分前のものだけど、この頃から文学論のスタンスは殆ど変わっていないことをうかがわせる内容。ある作品を読んでいて、全く別の作品との共通点を思いつき、そこを拠点に論旨が進んでいく、っていう趣のものが多い印象。ただ、それを思いつくために、前提としての莫大な読書量が必要で、更にはそれを記...
随分前のものだけど、この頃から文学論のスタンスは殆ど変わっていないことをうかがわせる内容。ある作品を読んでいて、全く別の作品との共通点を思いつき、そこを拠点に論旨が進んでいく、っていう趣のものが多い印象。ただ、それを思いつくために、前提としての莫大な読書量が必要で、更にはそれを記憶しておく容量も欠かせないはず。非凡な書評・文学論全般に言えることだけど、そのあたりの容量の大きさ、膨大な経験の蓄積、凄いすね。どんな読み方で、どれだけ読めば、少しでもそういう芸当が出来るようになるのか。まだまだ模索中、精進中です。
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『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)に続く、著者の文芸時評集です。一般に小説と呼ばれる作品だけでなく、あらゆるテクストや事象が批評の俎上に上げられるのは前著と同様ですが、前著よりは多少、著者の語りから実験的な試みが抑えられており、そのぶん著者の「思想」が透けて見えるよ...
『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)に続く、著者の文芸時評集です。一般に小説と呼ばれる作品だけでなく、あらゆるテクストや事象が批評の俎上に上げられるのは前著と同様ですが、前著よりは多少、著者の語りから実験的な試みが抑えられており、そのぶん著者の「思想」が透けて見えるような印象を受けます。これをどのように評価するかは、読者によって分かれるところでしょうが。 かつて蓮實重彦が『小説から遠く離れて』(河出文庫)の中で、村上春樹の『羊をめぐる冒険』や丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』、そして井上ひさしの『吉里吉里人』などの作品が同一の物語構造を持っていることを指摘し、それに対する苛立ちを表明していました。本書の最後に収められている「「正義」について」というエッセイは、「湾岸戦争に反対する文学者声明」について論じた文章ですが、この中で著者は、若い作家や作家志望者の作品の中に流行の作家の作風に似ているものを発見し、そのたびに困惑させられてしまうと述べています。ただし著者は、模倣する方ではなく、模倣される方に対して、「模倣されるということは、どこかに大きな欠陥があるのです」と主張しています。その上で、「物語」から逃れて「コミュニケーション」へ向かうことの可能性を探ろうとしています。 一つ気にかかったことは、著者がこうした「問題」を、「文学」の問題とみなしているのか、それとも「日本」の問題とみなしているのか、ということです。この国においては前衛さえも海外から学ぶべきものとして取り入れられたという高階秀爾の指摘は、椹木野衣の指摘する「悪い場所」の問題圏に著者の問いかけを収斂させることになるように思われます。一方で著者は、橋本治の『窯変源氏物語』や藤井貞和の物語論に、「自由な言語行為」の可能性を見ようとしているように思えるのですが、その意味でもやはり上の問いを「日本」のうちに囲い込んでしまっているのではないかという疑念が沸き起こってきます。
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