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この子を残して の商品レビュー

3.6

17件のお客様レビュー

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2012/01/27
  • ネタバレ

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爆心地から700mの長崎医大で被爆した著者は、白血病を負いつつ戦後の6年を生きた。 原爆投下の直後、医師である彼は、重傷を負いつつも、猖獗きわまる被災者たちの救護活動に明け暮れた。 明くる10日、帰宅した彼は、廃墟となった台所跡に、骨片だけに変わり果てた妻を見つけ、埋葬する。 偶々、祖母宅へ行っていた二人の子ども、兄と妹は原爆を免れ無事だった。 敬虔なカトリシズムと、放射線物理療法の医師という二面を併せもつこの高貴な魂は、自身の死期迫りくるなかで、この世に残しゆく幼い兄妹の身をさまざまに案じつつも、揺るぎのない信仰に支えられ、あくまで沈着に父からの二人への遺言の書として、日々の思いを綴っている。 それは、精神の桎梏が激しさを増すほどに、かえって高みへと昇華していく運動を示し、なればこそ、幼な児たちへと綴られた言葉は、狂おしいほどの愛となって、読む者に伝わりくるのだ。 青空文庫で読んだ。

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2011/11/19

カトリックの医者の被爆闘病記。戦後の浮浪児の話題など、世相がうかがい知れて興味深い。子を残して死んでゆく(母親は戦災死)父の悲哀がにじみ出ていて悲しいエッセー。

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2011/11/07

 ナガサキで被曝した一大学教授。妻を失い,自分も放射線に犯されていて,いつまで命が持つのか分からない。残されるのは,二人の兄妹だけ。この状況で,父親として何ができるのだろうか?  病床からこの兄妹の成長を見つめる父親の心の叫び。キリシタンでありながらも,ときどき頭をもたげる「普通...

 ナガサキで被曝した一大学教授。妻を失い,自分も放射線に犯されていて,いつまで命が持つのか分からない。残されるのは,二人の兄妹だけ。この状況で,父親として何ができるのだろうか?  病床からこの兄妹の成長を見つめる父親の心の叫び。キリシタンでありながらも,ときどき頭をもたげる「普通の人」の感覚。  キリスト教への記述には,キリスト教徒ではない読者には違和感を感じるでしょう。それでも,「残して」去って行かざるを得ない父親の心境を赤裸々に語ったこの遺言書は,同じ子を持つ父親としてじーんと来るものがあります。

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2011/05/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

原発でひばくしたのだと思ったら、筆者はレントゲン技師だったというお話。 何度も読みましたがやはりピンとこなかった。

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2010/03/13

(2008.08.28読了) 「この子を残して―この世をやがて私は去らねばならぬのか!」 1945年8月9日長崎で被爆しながら診療に力を尽くしたが、病に倒れてしまった。妻は、原爆で死亡。子ども二人は、疎開していたため助かった。 自分はそんなに長く生きられない。子どもが一人前に成長...

(2008.08.28読了) 「この子を残して―この世をやがて私は去らねばならぬのか!」 1945年8月9日長崎で被爆しながら診療に力を尽くしたが、病に倒れてしまった。妻は、原爆で死亡。子ども二人は、疎開していたため助かった。 自分はそんなに長く生きられない。子どもが一人前に成長する前に死んでしまう。 後に残る子供のために書き残した本です。親心がよく書きあらわされています。 1948年4月、下の子のカヤノは、入学しくお迎えました。入学式の付き添いは叔母さんが申し出たが、肉親である中学生の誠一を行かせることにした。二人で元気に出かけたが、カヤノが立ちどった。誠一が手を引いても動かない。 「みんな、お母さんに手をひかれている!カヤノは忘れていた事実をふいに思いださせらたのだった。」(168頁) 残念なのは、カトリック信者のために、普段宗教になじんでいない者にとっては、共感しがたい表現が出てくることです。 「人は生まれながら完全な幸福を求めている。完全な幸福は神と一致することであった。」(106頁) 妻が亡くなり、子供二人が残された。再婚を勧められた。女親がいたほうが、子供のためにいいことがあれこれある。でも、実の母を忘れてほしくない。あれこれ悩む様もつづられています。 長崎に落とされた原爆のために、孤児が沢山残された。施設がつくられ収容されたが、脱走者が多かったとか。なぜそうなのかを著者は考察している。 自分の子供も自分がなくなれば、孤児になる。他人ごとではない。 「純粋に孤児の側に立って考え、孤児の真の幸福のみを目的として建てられたのはいくらあるのだろうか?」(60頁) 所々にさし絵が入れてあります。著者が描いたものです。父親が医者でなかったら、画家を志したのかもしれません。 著者 永井隆 1908年2月3日 松江市生まれ 1928年 長崎医大入学 1932年 長崎医大卒業 1934年 カトリックの洗礼を受ける 1934年8月 結婚 1946年1月 長崎医大教授 1946年7月 長崎駅頭で倒れ、病床につく 1951年5月1日 逝去、享年43歳 (2008年9月2日・記)

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2009/10/04

やはりキリスト教の思想は嫌いだ。 例えば原爆後の長崎に作られた孤児院について、オランダの宣教師が建てた孤児院は愛と希望に満ち溢れているといい、国が作ったものは働いている職員もろとも罵倒し非難する。読んでいて気分の悪くなる最悪の本だった。

Posted byブクログ

2009/10/04

長崎で原爆にあい放射線を浴び不治の原子病患者として床にふす父親と、二人の幼い孤児予定者。とにかく、せつなく感動します。

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