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大学教授になる方法(実践篇) の商品レビュー

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2件のお客様レビュー

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2011/12/09

恐らく,辛辣さは前著の方が強いです。本書はむしろ,本当になろうとするならば,それなりの覚悟がいるよ,と論じている部分が多い印象です。しかし,まともに教育出来る人が大学教授になるべきだという信念は通底していると思います。 *****  大学は,大多数の学生にとって,就職準備の場...

恐らく,辛辣さは前著の方が強いです。本書はむしろ,本当になろうとするならば,それなりの覚悟がいるよ,と論じている部分が多い印象です。しかし,まともに教育出来る人が大学教授になるべきだという信念は通底していると思います。 *****  大学は,大多数の学生にとって,就職準備の場としてある。しかも,大学教育は,就職してすぐに「役立つ技能」を教える場ではないのである。それは,大学がそのような「技能」を教えることができない,などということを意味しているのではない。逆である。実のところ,単色の知識や技能を教えるのは簡単なのである。企業が若い働き手に求めているような,「すぐに役立つ」知識・技能・行動力を教えるだけなら,何も,大げさに,大学である必要はないのである。  企業と公的サービス部門を問わず,本当に要求されているのは,単色の知識や技能が社会変動や技術革新などによって不要なものとなっても,新しい知識や技能を習得して,社会変動や技術革新に適応してゆける知・能の教授なのである。もう少し単純化していえば,変動や革新があっても,恐れることなく,その変化を理解し活用してゆこうとする学習意欲こそがまず求められているのである。問題を個々に解く能力よりも,問題を解決するために何事でも学ぼうとする姿勢こそ大切なのである。(p.35)  しかし,「オリジナリティ」が,重箱の隅にしろ,ある研究はまだましである。「オリジナリティ」がただの「珍奇」を意味することのほうが,ずっと多いのである。「趣味」や「思い込み」にすぎないのが大部分なのである。(p.41)  学ぶとは,本質的に,暇潰しのことである。しかし,労働とは違うが,ぶらぶらしていることではない。何事かをなそうとする意志的な行為である。だから,労働と同じように,学ぶにも一定の筋道がある。ところがその筋は,労働の筋とは異なる。学ぶことも,技術的なところがあるから,一定の段階までは,マニュアルがある。学ぶが勉強(work)でしかない段階である。しかし,それを超えると―超えたからといって勉強の側面がなくなるわけではない。ただ主ではなくなるだけだ―,多様な道を自分の足で進むのを常とするのである。(p.91) もとより,学ぶ楽しさは,学んでゆくことの中で生まれてくるというのが普通である,…(p.92)  本当のところ,忙しいときに学ぶのは,そんなに難しくないのである。何事かを学びたいという気分が煮詰まってきているからである。何事かを欲する(want)のは,それが欠けている(want)からなのだ。忙しくて研究が禁じられているようなとき,なにがなんでも学びたいという欲求が湧いてくるものなのである。  しかし,たっぷり時間があって,しかも,気候の爽やかなとき,きちんきちんと学びの仕事を片付けてゆくのは,相当に気力がいるのである。十分に自由なとき,今すぐに成果を生まない何事かをするためには,自分を強制する大きな力がなければならないのである。十分後にしても,一日延ばしても,あるいは十日延ばしても,もしかすると,来年でも,結果オーライということになるやも知れないことに,今・ここで,取りかかるのは,気分上とても困難なのである。(pp.98-99)

Posted byブクログ

2011/01/10

論文執筆の参考になればと購入しました。 内容は、間違いはなく読みやすいのですが、1995年に書かれているので、現在の 大学のあり方 大学の教授や准教授公募 WEB時代の先行研究調査 ICT活用による論文執筆 には、即さない感が否めません。 大学教授や研究に関して時代の流れ...

論文執筆の参考になればと購入しました。 内容は、間違いはなく読みやすいのですが、1995年に書かれているので、現在の 大学のあり方 大学の教授や准教授公募 WEB時代の先行研究調査 ICT活用による論文執筆 には、即さない感が否めません。 大学教授や研究に関して時代の流れを知るならいいかも

Posted byブクログ