「狂気」が「正気」を生んだ(上) の商品レビュー
「栗本慎一郎自由大学講義録」第3弾上巻。 河上倫逸の「誰がために「法」はあるのか」では、「法とは人間の行為の規則である」という立場から、西洋近代の「法」概念を相対化することがめざされています。とくに、キリスト教や自然科学的世界観といった、法とは関わりのないと思われているさまざま...
「栗本慎一郎自由大学講義録」第3弾上巻。 河上倫逸の「誰がために「法」はあるのか」では、「法とは人間の行為の規則である」という立場から、西洋近代の「法」概念を相対化することがめざされています。とくに、キリスト教や自然科学的世界観といった、法とは関わりのないと思われているさまざまな思想が、根底の部分で近代法とつながっていることが明らかにされます。 丹生谷貴志の「グノーシス―狂気と正気のはざまで」では、グノーシス主義の解説がなされています。柴田有の『グノーシスと古代宇宙論』(勁草書房)では、グノーシス主義が、ローマ帝国の支配的イデオロギーと結びついているキリスト教思想に対する異議申し立てだったとする見解が示されていたと丹生谷氏は整理します。その上で、氏はこうした考え方をより広く捉えなおして、あらゆる観念の支配に対する唯物論的な運動として、グノーシス主義を理解できるのではないかという主張を展開しています。 山口昌男の「神秘主義が20世紀を生んだ」では、ヨーロッパの「周縁」としてのロシアにおける、広い意味での神秘主義思想が紹介されています。取り上げられているのは、ブリューゾフの小説『炎の天使』と、グルジェフの神秘主義思想です。さらに山口氏は、これらのロシア神秘主義思想に、アジアからの影響を指摘しています。
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栗本慎一郎もかなり毀誉褒貶が激しい人だったけど、毎回わが国トップクラスの研究者を迎えて講義を行うこのシリーズを読むと、やはりかなりの知見を持った日本でも有数の知識人だったことが分かる。 この巻では河上倫逸、丹生谷貴志、山口昌男が講義を行い、栗本が冒頭で3者のポイントをまとめる形...
栗本慎一郎もかなり毀誉褒貶が激しい人だったけど、毎回わが国トップクラスの研究者を迎えて講義を行うこのシリーズを読むと、やはりかなりの知見を持った日本でも有数の知識人だったことが分かる。 この巻では河上倫逸、丹生谷貴志、山口昌男が講義を行い、栗本が冒頭で3者のポイントをまとめる形。 この板的には、丹生谷(グノーシス--狂気と正気のはざまで)と山口(神秘主義が二十世紀を生んだ)の講義が必読。 前者のポイントは、グノーシス主義があらゆる(アリストテレス的)観念的・抽象的 形式化に対する戦いとしての唯物論的な運動だったのではないか、ということ。後者はロシア神秘主義の紹介。 また西洋法史が専門の河上の講義は、「誰がために法はあるのか」という 神秘主義とは関係なさそうなテーマだが、法について極限まで突き詰めた話、一神教と法との関係、また言葉と行為と法との関係といったある意味抽象的・汎用的な内容なので、西洋人の思考を理解したい人にはすべて一読を薦める。
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