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ボンバの哀れなキリスト の商品レビュー

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2件のお客様レビュー

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2018/10/10

カメルーンの地で、キリスト教の布教に生涯をかける白人神父がいる。その神父の理想とその挫折が、子弟である黒人少年の目線で語られる。 下記に述べるように硬派な内容だが、少年の語りがベースになることによる読みやすさと、小説の筋立てとして飽きさせない工夫が見え、読者を選ぶ小説ではない。 ...

カメルーンの地で、キリスト教の布教に生涯をかける白人神父がいる。その神父の理想とその挫折が、子弟である黒人少年の目線で語られる。 下記に述べるように硬派な内容だが、少年の語りがベースになることによる読みやすさと、小説の筋立てとして飽きさせない工夫が見え、読者を選ぶ小説ではない。 物語の冒頭より、ネイティブ達はキリスト教と植民政策がワンセットであることに警戒している様が提示される。白人神父とネイティブ達の軋轢は、ある事件を発端に、神父のカメルーンにおける半生をかけた布教活動を、真っ向から否定する結果をもたらす。 いま日本に翻訳されているアフリカの小説は、程度の濃淡はあるが、この文明の違いに根ざす両者の相いれなさを描くものが多い。 当然読者としても、そのあたりの基礎的な知識はある。 そんな中でも良質の作品は、二項対立に堕すことのないよう、配慮されているもののような気がしている。 本作でも、布教館に蔓延していた乱倫の起点は、ネイティブ社会に根強く残る父権制の弊害であり、同族間の搾取問題が示唆される。どっちもどっち的な地平に降ろされることによって、肌の色や生まれた文化に左右されない人類の共通した宿痾の存在が示されている。

Posted byブクログ

2010/06/19

1930年代カメルーン、白人宣教師が直面する事実。 欧米諸国による植民地への宣教活動が、植民地支配を補完するものであったことは、現代を生きる我々からすると、もはや驚くべきことではない。 では当時、心から純粋に布教活動に臨んだつもりの一宣教師が、このからくりに気付いてしまったとし...

1930年代カメルーン、白人宣教師が直面する事実。 欧米諸国による植民地への宣教活動が、植民地支配を補完するものであったことは、現代を生きる我々からすると、もはや驚くべきことではない。 では当時、心から純粋に布教活動に臨んだつもりの一宣教師が、このからくりに気付いてしまったとしたら・・・。 アフリカでのキリスト教の布教活動は、キリスト教の暴力性を象徴させるのにもってこいだ。中世以降のヨーロッパの歴史の柱の一つは、この本で語られているような盲目的な善意による破壊、支配、侵略だろう。 キリスト教の論理は徹頭徹尾白人のためのものである。 この事実に気付いた宣教師が、もし自分が詩人だったら、こんな過ちは犯さなかったであろうに、と慨嘆するシーンは、非常に哀愁が漂っていて素敵。 ついつい作者の意図に乗せられて、歴史的なテーマだのなんだのといったところに目が行く作品だが、全ての破たんに向けて収束していく筋運びといい、純粋なキリスト教信者となった黒人の少年を語り手においている効果もあり、普通に面白い小説でもある。

Posted byブクログ