授業のどこを見られているか の商品レビュー
「オピニオン叢書」の一冊である。「オピニオン」という名の通り、有田先生の主張が色濃くなっており、時おり厳しい言葉も出てくる。有田先生が肌身で感じた時代の変化、それに併せて授業が変わっていく(授業を変えていく)必要を説かれている。常に教師の改革姿勢が大切なのである。 ① 印刷機...
「オピニオン叢書」の一冊である。「オピニオン」という名の通り、有田先生の主張が色濃くなっており、時おり厳しい言葉も出てくる。有田先生が肌身で感じた時代の変化、それに併せて授業が変わっていく(授業を変えていく)必要を説かれている。常に教師の改革姿勢が大切なのである。 ① 印刷機は変化したが、授業は変わらず 私は「印刷機やネットなどの情報入手・加工技術は各段の進歩を遂げたのにもかかわらず、授業は逆に退化しているのではないか」と常に自分に問いかけている。授業は新しくなり、向上していなければならないはずである。おそらく「自分が受けた授業・教育を無意識的におこなっている」から、授業が変わっていかないのだろう。やはり教師は貪欲に学び続け、自身をイノベーションし続けることが必要である。「教師の意識が変わらなければ、授業も変わらない」のである。そして、意識を変えたあとは、実践を創り、残していく(発信していく)ことである。教師の授業が変われば、学級も変わっていき、学級の課題をひとつずつ解決していけるのではないだろうか。 ② 子どもは「身のほど知らずの伸びたがりや」であり「身のほど知らずのほめられたがりや」である このような「肯定的な先入観」をもって子どもを見ることである。「ほめるために子どもを見る」のである。授業で占める割合が一番大きいものは「子ども自身が、自ら伸びようとする力」であるはずなのだ(教育技術は名人クラスでも7%程度…向山氏)。その「伸びようとする力」を掘り起こし、正しい方向へ伸びていけるように援助していくのが教師の仕事である。この具体として有田先生が、生涯研究を続けてきたものが「その子どもにマッチした教材(ネタ)」である。ネタの魅力の根幹には、有田先生の実に深い「子ども観」があるのだ。そして「伸びたがりや」の子どもたちと日々正対する教師こそが、子どもの先頭を切って「伸びたがりや」であることが求められるのだ。「子どもは日々変化している」という先入観をもつことも大切である。見ている“つもり”になることに対して、自分自身のブレーキをかけ、問題意識をもって子どもを見続けることが子どもの良さを見つけることにつながる。 ③ 一人の子どもを伸ばす突破口をみつけることは、大変な技術である。プロの技術である 「発問の定石化」「ネタ論」などを主張される有田先生であるが、その始まりは常に「この子をどうにかしたい」という、一人の子どもへの問題意識からなのである。特に、授業中の子どもたちを見るのである。「まずは一人を育てる」…このことは、学級という集団づくりにも確実につながっている。 生徒指導の側面で作文を書かせる場合、そこには「作文の限界」というものがあることを心しておく必要がある。作文から見える姿も、ある一方で、作文をすべて信じると失敗することにもなるのだ。
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有田先生のダイナミックな授業が伺える。 ただやっぱり小学校ならではというようにも感じる部分はある。
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