恐龍が飛んだ日 の商品レビュー
生物学者であり科学哲学的な議論を展開している柴谷篤弘と、『唯脳論』の執筆者として知られる養老孟司の対談です。 本書は、哲学書房の中野幹隆によって企画された対談であることが、柴谷の執筆している「まえがき」で語られていますが、柴谷と養老には構造主義的な発想が共通点としてあるように思...
生物学者であり科学哲学的な議論を展開している柴谷篤弘と、『唯脳論』の執筆者として知られる養老孟司の対談です。 本書は、哲学書房の中野幹隆によって企画された対談であることが、柴谷の執筆している「まえがき」で語られていますが、柴谷と養老には構造主義的な発想が共通点としてあるように思います。 柴谷のほうは、彼から池田清彦へと継承される「構造主義生物学」の提唱者ですが、養老の解剖学的な観点からくり広げられるさまざまな議論も、広い意味での構造主義的な発想に依拠しているということができます。『唯脳論』では、対象において観察されるものは、観察する主体の脳に対応する枠組みが存在しており、それが対象へと「投射」されるということが主張されています。主体の脳は、進化を通じて形成されてきたものであり、個体についても成長の過程でさまざまに変化していきますが、そうであるならばこの考えはア・ポステリオリなカント主義というべきものであり、すなわち構造主義だと結論づけてもあながち間違いではないはずです。もっとも養老自身は、解剖学的な観点と生理学的な観点の対照にもとづいて、「構造」と「機能」を対概念として用いており、「唯脳論」は構造だけでなく機能も視野に入れた考えかたであるというでしょうが、「文科系」の立場、すなわち対象を認識する心の側からみれば、機能論とは目的論的な説明の体系であり、構造主義でいわれる「構造」の一種となります。中野は、養老の議論にフーコーとの共通性を見てとっていたので、おそらくその点で柴谷と養老の実りある対談を期待していたのではないかと、わたくしには思えます。 ただ、じっさいの対談の内容は、両者がそれぞれの議論の前提となっている、生物学や解剖学の知見をたがいに説明する段階で終わってしまっており、両者の共有しているはずの発想の基礎にまでおよぶことなく終わってしまっているような印象があります。
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構造主義生物学を打ち立てられた生物学者の柴谷篤弘さんと当時まだ解剖学教室におられた養老孟司さんの対談です。 生物学の専門用語が飛び交い、わからないところばかりでしたが、凄い人と凄い人の奥深い言葉のやりとりの醸しだす雰囲気がなんとも素敵です。 真実とか科学とか認識とかと脳の関係を考...
構造主義生物学を打ち立てられた生物学者の柴谷篤弘さんと当時まだ解剖学教室におられた養老孟司さんの対談です。 生物学の専門用語が飛び交い、わからないところばかりでしたが、凄い人と凄い人の奥深い言葉のやりとりの醸しだす雰囲気がなんとも素敵です。 真実とか科学とか認識とかと脳の関係を考え始められた養老さんの問題意識みたいなものが書かれているはずで、きっと、そうなんだろうとは思うし、そのことは感じとれるのだけれども、今のわたしには言葉にできません。そこのところも、またまた、おいおいです。 Mahalo
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