1,800円以上の注文で送料無料

最後の箱館奉行の日記 の商品レビュー

4

3件のお客様レビュー

  1. 5つ

    0

  2. 4つ

    1

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2017/01/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

1995年刊行。幕末最後の箱館奉行職、梅潭杉浦兵庫頭誠。彼は、大番衛士(=近衛師団)から、鉄砲玉薬奉行、洋書調所頭取を経て、目付に起用。その後、自宅謹慎(攘夷派政事総裁職松平直克による事実上の罷免)を経て、箱館奉行職を全うして維新期を迎えた。杉浦の日記復刻に尽力した著者による人物評伝。本書の軸は①京都勤務も含まれる目付期と②幕末最末期から維新動乱初期における箱館の模様(開港と日露外交。南樺太への露進出という難題有)。幕末動乱期の京都在勤歴ある目付職の詳細な日記で、幕府側から見た幕末の実相を語る書と言える。 水戸藩が何故幕末最末期に表舞台から姿を消したのか(纏らない藩論のため内紛状態)、政事総裁職松平春嶽の辞任経緯(慶喜との対立)、後任の松平直克(春嶽と家格均等を理由に選任)の的外れな攘夷論等、幕閣(特に江戸)模様も明快に。そして、日露関係である。樺太雑居の問題に力を尽くした杉浦、そしてその前任者の苦闘が。文久2年の欧州使節派遣との関わりも垣間見れるのは幕末期外交の一局対ロ関係を知る上で、実に有益。また、王政復古の大号令・戊辰戦争による幕府制度解体の一例としての箱館接収も政権交代過程を知る上で有益か。 長州も薩摩も会津も殆ど出てこないが、幕末動向の一面を見るには実に得難い書と言っていいと思う。また、幕末の動向(特に本書は幕府のそれを描写)は、同じ組織にいてもかなり異質な人々の合従連衡と離反とがあり、まして、異組織ではそれが顕著。しかも、その時々によっても変わるという複雑さを持っているが、本書のような日記からは日々の変遷が看取でき、その状況がよく伝わってくる。

Posted byブクログ

2013/10/09
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

杉浦誠(正一郎、梅潭)の日記ダイジェスト。 ・目付時代の横浜鎖港問題にかかわった頃 ・小出大和守の後任として箱館奉行に任命された頃の対露樺太問題 ・最後の箱館奉行としての対応 ・明治になり、静岡藩の公議人として静州赤心隊事件の折衝 ・開拓使出仕 ・余生の逸話など ちょっとやんちゃな人柄も見えて興味深い本です。

Posted byブクログ

2011/05/11

箱館奉行所の最後の奉行、杉浦兵庫頭誠は、幕府の目付け時代から毎日の勤務や身辺のことをほとんど欠かさず日記に残していた。日記自体は「杉浦梅潭目付日記・箱館奉行日記」として刊行されている(梅潭は雅号)が、その内容を要約し解説したのが本書。 特に興味深いのが1866年(慶応2年)か...

箱館奉行所の最後の奉行、杉浦兵庫頭誠は、幕府の目付け時代から毎日の勤務や身辺のことをほとんど欠かさず日記に残していた。日記自体は「杉浦梅潭目付日記・箱館奉行日記」として刊行されている(梅潭は雅号)が、その内容を要約し解説したのが本書。 特に興味深いのが1866年(慶応2年)からほぼ2年強の箱館奉行時代。杉浦が着任後すぐに、当時勃発していた樺太でのロシアとの紛争の処理にあたったことや箱館在住の各国領事との交友など。当時の箱館が幕府の外交の最前線であったことがよく理解できる。 慶応3年4月、樺太でのロシア側の無届越境事件に際して、杉浦と当時のロシア大使ビューツオフの間で交わされた熾烈なやりとりなどは、杉浦の交渉能力の高さをうかがわせるもの。なお、この年2月、箱館の前任奉行の小出大和守秀実が樺太の国境画定交渉の談判のため幕府代表としてペテルスブルクに出張しており、難交渉の末、国境線は確定できず、樺太は日露の「雑居地」とされたのだが、当時の通信事情ではその結果は杉浦にはまだ届いていない。 そして白眉をなすのが、大政奉還後の、新政府への奉行所の明け渡しまでの経緯が記述される部分。当時、他の幕府の遠国奉行(長崎、兵庫など)では、大政奉還の報を受けると、奉行自らが即座に任務を離れて江戸へ帰還(脱出)したのに対し、箱館奉行は事後の混乱を避けるべく、新政権への秩序ある引渡しを決意。狼狽する部下を抑えてそのとおりに実行したのだ。 今回、復元された箱館奉行所内の奉行の執務室(表座敷)では組頭などを呼んでの再三の協議の場面。檄こうする部下との緊迫のやりとり。そして大広間の一之間は明治元年閏4月27日、新政府の「箱館裁判所」総督清水谷をに迎えての引渡しの場面に登場する。

Posted byブクログ