人間と聖なるもの の商品レビュー
原著初版1939年の本文に、3つの付論を加えて1950年再版刊行。 初版の時点でカイヨワ26歳。まったくそうは思えない思考の深みである。本書にはかなり人類学ベースな部分もあるが、著者自身にフィールドワークの経験は無さそうだし、現在へ向けてはみ出してゆく傾向もあって、総じて社会...
原著初版1939年の本文に、3つの付論を加えて1950年再版刊行。 初版の時点でカイヨワ26歳。まったくそうは思えない思考の深みである。本書にはかなり人類学ベースな部分もあるが、著者自身にフィールドワークの経験は無さそうだし、現在へ向けてはみ出してゆく傾向もあって、総じて社会学分野の著作と見受ける。 カイヨワの思考はしばしばかなり個性的で、あまりにも意外な方向に向かうために追いかけるのに苦労し、難解な印象も漂うが、読み進めていくとなかなか洞察が深くて感心する。 「聖なるもの」と「俗なるもの」のような、人間の対概念となっているものについての「相互補完性」をカイヨワは強調し、この点において、明らかにエリアーデ『聖と俗』(1957)よりもぐんと深い。 1950年版に収められた付論の3つめ「戦争と聖なるもの」の章が衝撃的だった。なんと、人類学パースペクティヴにおける「祭り」と20世紀の「戦争」との類似を指摘しているのだ。 確かに「祭」と「戦争」とは、まったく正反対の面もあるが、社会の発作的興奮などの点において共通点はありそうで、カイヨワの発想に共感させられる。 現代は社会全体を包含するような「祭」が殊に都市部において不可能になったこともあって、それに代わって「戦争」が国家的イベントとして活用されてしまうのだ、という点、大いに考えさせられる。カイヨワの著作には更に『戦争論』などもあるらしく、追って読んでみたい。 が、言うまでもなく、戦争はあまりに悲惨である。戦争に向かうくらいなら、国家なんていう枠は骨抜きにして、せいぜい想像力をめぐらした「祭り」くらいで収めておきたい気がする、というのが大前提である。
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聖なるものがいかなるものかについての解説から始まり、性や結婚と神聖さの関連、祭りの機能などに話が及ぶ。かつて神聖さと穢れに区別がなく一つの単語でそれを表現していたものが二つの要素に別れていったという最初の章の記述が興味深く、夢中になった。付録では第4章での祭りについての解説をもと...
聖なるものがいかなるものかについての解説から始まり、性や結婚と神聖さの関連、祭りの機能などに話が及ぶ。かつて神聖さと穢れに区別がなく一つの単語でそれを表現していたものが二つの要素に別れていったという最初の章の記述が興味深く、夢中になった。付録では第4章での祭りについての解説をもとに聖なるものと戦争について語られる。あらゆる観点から戦争と、祭りの類似性を挙げた後の著者の結論が興味深かった。遊びと聖なるものとの関連性についても語られており、同著者の他の本も読みたくなる。
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聖なるもの、それは崇拝の対象となるもの、さまざまな媒体により伝染するもの。人間を魅惑する、また戦慄、畏怖の感情を呼び起こすもの。焔に飛び込んでゆく蝶。 聖なるもに近づくためには、日常的な、俗なるものを一時的に放棄する必要がある。聖なるものは、不可能なもの、禁止されたもののなかに...
聖なるもの、それは崇拝の対象となるもの、さまざまな媒体により伝染するもの。人間を魅惑する、また戦慄、畏怖の感情を呼び起こすもの。焔に飛び込んでゆく蝶。 聖なるもに近づくためには、日常的な、俗なるものを一時的に放棄する必要がある。聖なるものは、不可能なもの、禁止されたもののなかに宿る。 俗なるものは、汚穢の排除も行う。死体や月経期、出産期の女性は部落から離れた場所に隔離される。 俗なるものにより、他方、聖なるものは、禁止と儀礼により管理される。 ポトラッチを持つ氏族社会による胞族の相互依存関係。女性の交換。トーテム。豊富な生産を目的とした贈り物の交換。 王の誕生。権力と階級制度。王は神の系譜につらなり、神聖さをもつ。俗なる世界との隔離、近親相姦の承認。社会秩序と王の聖性。 祭りの理論 労働の禁止。<力の放電>。自然と社会の、衰弱した時間の刷新。植物の一年毎に循環するかのような生と死の模倣。創世以前の混沌。神話の租型の反復。死者や霊との交流。太陰暦での一年の最後の余分な十二日間、リグ・ヴェータによると一年全体の写し。王の死。近親相姦と創世神話。 『生は消耗であり、消失なのだ。』 『消費されないもの全てが腐敗する。』 『聖なるものの永遠の真理は、灼熱の魅惑と同時に腐敗の恐怖のなかにあるものなのだ。』
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