日本の原像を求めて の商品レビュー
ブーヴィエによって投げられた日本のものではない物差しで、彩りと弾むリズム与えられ、日本人にとって当たり前の風景が本のなかで声を上げる。 定住する者がやり過ごしていた何かを、ニコラ・ブーヴィエは置き土産にしてくれた。 フランスにおいては長く日本学と称されている。 これが世界で読...
ブーヴィエによって投げられた日本のものではない物差しで、彩りと弾むリズム与えられ、日本人にとって当たり前の風景が本のなかで声を上げる。 定住する者がやり過ごしていた何かを、ニコラ・ブーヴィエは置き土産にしてくれた。 フランスにおいては長く日本学と称されている。 これが世界で読まれていると思うと、嬉しくて胸が高まる。
Posted by
1953年からの東方大旅行の果てに2年後に日本に到着し、日本各地で一年を過ごしたスイスの作家による日本文化論。 日本人と共に生活した著者ならではの身近な詳しさと、外国人ならではの視点が交差する、なんとも不思議で魅力的な一冊になっています。 著者の日本に関する知識量には驚くばかり。...
1953年からの東方大旅行の果てに2年後に日本に到着し、日本各地で一年を過ごしたスイスの作家による日本文化論。 日本人と共に生活した著者ならではの身近な詳しさと、外国人ならではの視点が交差する、なんとも不思議で魅力的な一冊になっています。 著者の日本に関する知識量には驚くばかり。 「イチロクギンコウ」が質屋のこと、なども紹介されています。 著者の名前、ブーヴィエを、「七夕の牛飼い」と表現しているのもユーモラス。 京都・大徳寺の瑞雲軒に住んでいたそうです。 竜安寺に観光客が押し寄せる様を見て、(日本の古の魂を汲み取れるか?)と憂いてみたり、平家物語の敦盛を、ランスロットに見立てたり、飽きさせません。 マルコポーロの「東方見聞録」は、コロンブスが一冊写本を持ち、そこにビッシリと書き込みしていたとのこと。 コロンブスは、黄金の国日本を目指したといいます。それでイザベラ女王から援助してもらうことができたとか。 インドではなく、日本だったんでしょうか。当時は、東方は全部同じように思われていたんでしょうか。 日本のことわざは、不幸、不運に関するものが多いと言います。 あまり気にしていませんでしたが、そうでしょうか? こういうところが、外から分析する外国人ならではの意見ですね。 初めて来日したオランダ人は、体臭が臭く、長崎中のハエが後を追ったと言われたそうです。 また銭湯は、もともと混浴だったものが、西洋に合わせて男湯と女湯の仕切りができたそうな。 能を楽しむまで、著者は相当苦労したようですが、キリスト教的歴史を持つと表現しています。 確かに、能の長い沈黙は、文化が違う人には耐えがたいものかもしれません。 そういった、新鮮な視点が散りばめられているもので、内部を知る日本人として、興味深く読めました。 この本は、フランスでは日本学のテキストとして使われているとのこと。 世界では、日本を知る指針の一つになっているようです。
Posted by
- 1