知とモダニティの社会学 の商品レビュー
「仮にいま、本論で言及したゴッフマン、ターナー、ギアーツの視点を、各々『自己のドラマトゥルギー』『儀礼のドラマトゥルギー』『権力のドラマトゥルギー』と呼ぶとするならば、われわれが目指すべき『社会のドラマトゥルギー』とは、こうした3つのドラマトゥルギーが立体的に結び付けられたもので...
「仮にいま、本論で言及したゴッフマン、ターナー、ギアーツの視点を、各々『自己のドラマトゥルギー』『儀礼のドラマトゥルギー』『権力のドラマトゥルギー』と呼ぶとするならば、われわれが目指すべき『社会のドラマトゥルギー』とは、こうした3つのドラマトゥルギーが立体的に結び付けられたものでなければならない」 34−35ページ どうしても心理から学問に入った身としては、関心は自己とかに向いてしまいがちになってしまい、上記のものでいえばゴフマンにしかそこまで関心が向けられていない現状を、まずこの本を読んでそれなりに俯瞰的に認識することができたように思う。 無論のこと、自己=社会というわけではないわけで、じゃあ何が社会ということを次の疑問として当然抱えるわけだが、本書で示唆されているのが、「儀礼」「権力」というのはなかなかもって面白い。 「社会とは何か?」のような定義問題があまりにも困難かつ、そこまで有益な質問ではないというのが僕の認識ではあるけれども。 それでも「自己」「儀礼」「権力」のように概念を絞ることでたちあらわれてくる「社会」像というのはあるわけで。 個人の主観の反映といえばそれだけのことなのかもしれないが、幾人もの人々が共有するような間主観的なリアリティの枠組を提示してくれる「理論」というものの可能性は、やはり(今更ながら)残っているようにも思える。
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尊敬すべき庄司先生の課題著書です 清泉に残るとしたら庄司ゼミに入りたいけどやっぱりやり遂げたい学問もほかにあるんですよね 考えたいです
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