孔子 の商品レビュー
アメリカの分析哲学者が、孔子の思想を現代に甦らせんとした意欲作。 第一章で、怪力乱神を語らなかった孔子の教えにおいて、聖なるものがもっている魔術的力を取り出す。教師が授業中、学生に本を持ってくるようにと、儀礼的な決まり文句(呪文)を唱えると、本が目の前に現れるという印象的な魔術...
アメリカの分析哲学者が、孔子の思想を現代に甦らせんとした意欲作。 第一章で、怪力乱神を語らなかった孔子の教えにおいて、聖なるものがもっている魔術的力を取り出す。教師が授業中、学生に本を持ってくるようにと、儀礼的な決まり文句(呪文)を唱えると、本が目の前に現れるという印象的な魔術(!)が語られる。 第二章、孔子の人間論、道徳論の基本特徴が西洋のそれと比較される。ここでは、道(タオ)は岐路が存在しない一本道であり、西洋における選択と罪悪感の思想との対照が語られていてこれも印象的である。孔子の世界には、恥はあっても罪悪感はないのである。 第三章、根本思想でありながら、論語において言及の少ない仁について考察される。著者は、礼と仁は同一物の異なった側面であり、礼が伝統的・社会的な行動と関係の型を強調するのに対して、仁はこの行動の型に従い、その関係を維持しようとする人物を強調する、という。仁は、人間が為し、他の人に向けて、あるいは他の人とともになす行為であり、相互尊重(恕)、忠節(忠)、信頼(信)である。と。 第四章、人間の尊厳の根幹は礼にあるとしたのが孔子の人間論の核心であること、そしてこの思想は単なる伝統主義ではなく、人間社会という概念そのものまで変革することで新たな理想を創造しているという画期的な視点を提示する。 第五章、子貢がみずからの人物について問うたのに対して、孔子が「おまえは道具だ」と答え、さらに「供物のための玉の器だ」と加えた問答における孔子の意図を鮮やかに読み解く。個人としての人間は神聖なものではないが、社会という人の集まりにおいて礼のもつ意味、それは聖なる器なしには成り立たないという理路が語られる。 論語をあらためて読まねばならないと感じた。
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