日本における職場の技術・労働史 1854~1990年 の商品レビュー
日本における機械工業と化学工業の製造現場の変遷を、技術と労務の点から追っている。 本書は、幕末から戦後までの、日本の大規模製造業の労働形態が技術革新と共に管理され、省人化された現場へ変容していったかを労働の形から描いており、幕末の伊豆半島で行われた西洋帆船建造に始まり、石鹸や...
日本における機械工業と化学工業の製造現場の変遷を、技術と労務の点から追っている。 本書は、幕末から戦後までの、日本の大規模製造業の労働形態が技術革新と共に管理され、省人化された現場へ変容していったかを労働の形から描いており、幕末の伊豆半島で行われた西洋帆船建造に始まり、石鹸や航空機や自動車の製造といったよりモダンな工場、さらに究極の姿として、ロボットが自律して働くファナックの工場が登場する。 工場に常駐する請負業者である”親方”による労働者の管理は、工員の社員化とインセンティブ給の導入に取って代わられ、さらに流れ作業に代表される機器(ベルトコンベア)にペースを合わせた労働、さらにはオートメーションによって機械が自律して働く工場へ… この間一貫しているのは、経営層が熟練労働者から権限を奪ってきたこと。 工場で働くベテランの職人、親方、というと、フィクションやマスコミの世界では、どちらかというと現場を知り尽くした有能な存在、善なるものとして扱われるが、本書では、むしろ集中管理を妨げる障害として扱われる。 幕末、明治時代の工場では、作業そのものが職人の腕前に頼った作業ということもあり、作業上、労務上の管理は、私的に工員を雇用する「親方」に任されていたが、こうした親方は、工具の私的な運用、給与のピンハネの原因となったという。 生産の現場に、ホワイトカラーやエンジニアがコントロールできない親方が管理する世界が存在してしまっていたのだ。 親方が我が物顔でのし歩く工場がどんなものだったかというと、本書には、その雰囲気を伝える記述がある。 職工が親方に仁義を切ったというのだ。いわく、「手前製缶(工)にござんす。手前駆け出し者にござんす…」 これではさすがに近代的な管理どころではない。 大戦中の航空機生産工場についても興味深い。 中島飛行機(現スバル)の工場を例にとって解説しているのだが、この工場では欧米の工場を参考に、原始的な流れ作業を実施しようとしたが、タクト・タイム(作業時間の間隔)を揃えることができず、効率がなかなか上がらなかったという。それだけでなく、1944年には夜間操業を停止して1直制に変えている。 国家を挙げた総動員体制であっても、アメリカの民間企業が実現していた流れ作業を実現できないということで、現実は良いアイディアを思いつくより、良いアイディアを実現するほうが難しいんだなぁ…と痛感させられる。 一方その頃、流れ作業の本家家元であるフォードやGMは、自国内の航空機メーカーすらぶっちぎる爆速で軍用機を作りまくってましたとさ(フォードは米軍機中最多生産のB-24リベレーター、GMは子会社で有名なP-51ムスタングに加えF4Fワイルドキャットを製造)
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