吉屋信子 の商品レビュー
こないだ田中喜美子による駒尺の評伝も読んだが、ミーハーなフェミニスト、「つねに差別され続ける側」に分類される自分自身を意識しつづけたフェミニストと書かれた駒尺が、吉屋信子のことを、「女の階級意識を明確にもつ点で稀有な作家であった」と書き、「ただひたすら、男性中心的発想、男性優位社...
こないだ田中喜美子による駒尺の評伝も読んだが、ミーハーなフェミニスト、「つねに差別され続ける側」に分類される自分自身を意識しつづけたフェミニストと書かれた駒尺が、吉屋信子のことを、「女の階級意識を明確にもつ点で稀有な作家であった」と書き、「ただひたすら、男性中心的発想、男性優位社会を批判した」と書き、「女と女の愛について確信をもっていた」と書く。 ▼吉屋信子は、「新しい女」の継承者である。現在のいい方でいえば、フェミニストである。彼女自身の生き方は、まさにそうであるし、作品はその彼女の思いを、可能なかぎり多数の女性たちへ届けるための営為であった。 吉屋信子は、少数の女が百メートル翔ぶよりも、多数の女たちが十センチ飛ぶことを望んだのだ。(p.126) 作品をひもときながら、吉屋信子のよって立つところを駒尺は示していく。 ▼人々は、男たちは、世の中で男女関係ほど不動のものはない、と思い込んでいる。それに対して、吉屋信子は、否定してみせたのであった。(p.105) これは「女の友情」というタイトルの小説について。吉屋は、作品で女性の友情をうたいあげるとともに、私生活においても門馬千代という無二の親友、最高の理解者を伴侶として、没するまで千代を愛し、信頼を寄せていたという。 あるいは、駒尺が吉屋の最高傑作だと賞する「安宅家の人々」については、こんな風である。 ▼…吉屋信子は、ウーマン・リブ運動がおこる以前に、それを明確に自覚して、男らしさの否定をテーマに据えて、作品化しているのである。… わたしの考えでは、この小説のテーマは、先に述べたように、男性性の否定だと思う。もっといえば、男性性・男らしさの拒否だと思う。 …女に対して、優位に立ち、女を支配する〈男〉を、信子は完全に否定したのである。(p.225)
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