李珍宇ノオト の商品レビュー
今から52年前の1958年8月21日、東京都立小松川高校の屋上のスチームパイプの防護壁の横穴で、行方不明だった定時制に通う16歳の太田芳江さんが腐乱死体で発見され、その10日後の9月1日に同じ定時制に通う18歳の金子鎮宇こと李珍宇が逮捕されるという、いわゆる小松川女子高生殺人事件...
今から52年前の1958年8月21日、東京都立小松川高校の屋上のスチームパイプの防護壁の横穴で、行方不明だった定時制に通う16歳の太田芳江さんが腐乱死体で発見され、その10日後の9月1日に同じ定時制に通う18歳の金子鎮宇こと李珍宇が逮捕されるという、いわゆる小松川女子高生殺人事件ですが、私たちは大島渚の映画『絞首刑』(1968年)によって半世紀以上を経た今でも目の当たりにすることができます。 この事件は劇場型事件というか、そもそも遺体発見自体も犯人からの電話に誘導されてのもので、その3日後に被害者のクシが郵送されてきて、その封筒から2つの指紋と切手を貼った唾からB型の血液型が検出されます。 さらに、その2日後の電話では被害者の写真と鏡を送ったとのこと、そこに入っていた便せんから2個の指紋。またその2日後に電話があり逆探知して突き止めた公衆電話には、しかし犯人の姿はなく主婦と小学生3人が目撃していた。 まるで警察に協力するかのように、指紋・声・筆跡・血液型・目撃証言という圧倒的な明確な犯人像を示す証拠を提出してくれています。 そして、録音された犯人の声がラジオで放送されて、似ているということで李珍宇が逮捕されます。 それから、自白して李珍宇は犯人になる。 切手についていた犯人のものと思われる唾液の血液型はB型だったけれど、李珍宇はA型またはAB型。 あごが張って四角い顔に体重70キロで伸長178、5センチの大男の李珍宇ですが、目撃者の調書は法廷に出されていなくて姿は不明のまま。 IQ135の李珍宇が書いたにしては稚拙な脅迫状ですが、小4の妹に書かせたということになっています。 被害者をレイプしたという証言をしている李珍宇ですが、そういう痕跡はないとのこと。 こうして突き合わせてみても、決定的な証拠になるべきものに相矛盾するものがあるのに、ただ李珍宇の自白だけで、誰も矛盾を問いただそうとしないで死刑執行になってしまったのです。 おそらく、李珍宇は強力な監視下にあって、自分の意思を表明すること、つまり自白の撤回も無実を叫ぶことも許されなかったのだと思います。 朝鮮人差別を上手く利用して、犯人に仕立て上げるということが平気で行われていたということでしょう。 三鷹事件や松川事件や下山事件などのGHQと当時の政府の謀略殺人事件が吹き荒れていたちょうどその頃、こうして私たちのすぐ隣にも、人の命を虫けらのようにしか考えない権力を握った者たちの暴挙がヒシヒシと押し寄せてきていたのです。
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