1,800円以上の注文で送料無料

図説 金枝篇 の商品レビュー

4.3

5件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    2

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2020/09/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

文化人類学というジャンルに疎い方でも、 豊富な写真と説明で、読みやすいと感じた。 「呪術による天候の支配」といった、 ファンタジー好きにはそそられそうな内容。 私は深くは追求していないが、 人によっては創作等の参考にもなるかもしれない。

Posted byブクログ

2014/02/05

http://scheherazadeoflight.blog.fc2.com/blog-entry-1414.html

Posted byブクログ

2012/03/17

読み始めてから2年近くかかって、やっと読了。 さまざまな実例が豊富に連なっているので、週に10ページ程度の断続的な読書でも大丈夫。むしろ、そういうペースでゆっくり進めた方が味わい深くていいかもしれない。 歴史的過去の仮説を示すための“手法”という意味で非常に興味深い本であった。...

読み始めてから2年近くかかって、やっと読了。 さまざまな実例が豊富に連なっているので、週に10ページ程度の断続的な読書でも大丈夫。むしろ、そういうペースでゆっくり進めた方が味わい深くていいかもしれない。 歴史的過去の仮説を示すための“手法”という意味で非常に興味深い本であった。 理系人間にとっては、同じことが繰り返せる実験や、真偽の明確な論理によって「証明」する方法をトレーニングされるのだが、なるほど、歴史的仮説はこのように証明するのか、と著者のテーマとは別のところで勉強になった。

Posted byブクログ

2011/08/25

実は岩波の金枝篇は20年前に読んだ。勘違いをして、それのハードカバー本だとおもって現在に至るわけだが……。図版が多くて重宝しているが、内容にそれほど違いはないのでこのまま積ん読状態かもしれない。

Posted byブクログ

2011/12/13

 呪術に興味があって読んだ。イタリアはローマの東、ネミの森に伝わる「おきて」の意味を解読するために、世界中の神話、伝説、習俗などの中から似たような話、あるいは関係しそうな話をこれでもかというほど引用して、それらに通低する根本原理を抽出する、というような話。もともと『金枝編』という...

 呪術に興味があって読んだ。イタリアはローマの東、ネミの森に伝わる「おきて」の意味を解読するために、世界中の神話、伝説、習俗などの中から似たような話、あるいは関係しそうな話をこれでもかというほど引用して、それらに通低する根本原理を抽出する、というような話。もともと『金枝編』という本は全13冊の大著なのだけれど、親切な研究者がざっくりと一冊にまとめてくれたのがこの本。  その根本原理を抽出する時の基盤となる考え方が二つの呪術、類感呪術(似た者同士は影響し合う)と感染呪術(一度接触したもの同士は離れていても影響し合う)。このたった二つの呪術的心理で「おきて」を解読していく様子は、なんだか分かるような分からないようなだった。特に、北欧の神話とキリスト教文化の影響下にある地域の話が多く出てくるので(そもそもネミの森がローマにあるのだし)、日本人としてはいまいち実感のわかない話も多かった。けれど、フレーザー卿の言う「未開人」「異教徒」のつもりになって、考えるのではなくて感じるようにして読めば、「確かにそういうことかもなぁ」という風にも思った。  中心となる話題は、「農耕・牧畜と気象を司る神あるいはその象徴または依り代としての王が、収穫の象徴として毎年死んでは生き返る」という話。この王についての解釈は今書いただけでも重層的な意味付けがされているのだけれど、地域を越えていろいろなバリエーションが存在していて、時間的、場所的、そしてそのになわされた意味において、同じアイディアがいろいろな形で現れているらしい。で、実際に現れているもの(伝承や習俗など)を比較検討すると、結局は農耕・牧畜の繁栄を願う人の欲求の受け皿である、ということになる。たとえば、神が毎年死んでは生き返るのは畑の麦が冬は枯れて春に芽吹くことの類感呪術から来る。そして、呪術的解釈は双方向に可能で、気象を司る王が弱ると気象も思わしくなくなる(類感呪術)ので、順調な気象を実現するためには弱った王は健康な王に更新されなければならず、それが王が毎年殺されることにつながるという。  呪術的思考はこんなふうにまったくもって不合理なのだけれど、気持ち的には分からないでもない。たとえば「えんがちょ」なんて、明らかに感染呪術だ。だから、現代人の中にも「未開人」が持っていた呪術的思考がまだそのまま残っていて、気付かぬうちにそれにとらわれていたりすることがけっこうあるんだろう。  さて、とってつけたような10章に、それまでの考察に関する感想が書かれている。それは、「人が世界を理解し把握する枠組みとして、最初に呪術、次に宗教(キリスト教)、そして今は科学があるが、科学が最終形態とは限らないよ」ということ。呪術の時代の人々も、宗教の時代の人々も、大部分の人たちは、それが後の世に批判的に解釈されることになるなんてことはきっと想像してなかったと思う。だから、科学だってそのうちに新しい枠組みに取って代わられることがあっても不思議ではないのかも。

Posted byブクログ