被差別部落一千年史 の商品レビュー
被差別部落一千年史 (和書)2009年09月03日 13:46 1992 岩波書店 高橋 貞樹, 沖浦 和光 宮崎学「近代の奈落」を読んでいて、その中に参考文献として書いてあり興味を懐いた。
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おもしろかった。古代から近代までの奴隷階級の歴史を辿った前半と、明治以後の特殊部落への差別、政治の対応、水平社運動の目指すものについての後半。 祖父母たちよりは暮らし向きはよくなって教育も受けられるようになった今でもなぜ差別する者がいるのか? 部落出身だと大っぴらに言えないのに...
おもしろかった。古代から近代までの奴隷階級の歴史を辿った前半と、明治以後の特殊部落への差別、政治の対応、水平社運動の目指すものについての後半。 祖父母たちよりは暮らし向きはよくなって教育も受けられるようになった今でもなぜ差別する者がいるのか? 部落出身だと大っぴらに言えないのに部落民の誇りなどあり得るのか? そこは部落だと言わなければ差別はなくなるのか? など、私が10〜20代で思っていたようなことはすでに100年前に書かれていた。 読んでいて思ったのは、経済発展著しい途上国の農村地域や都市のスラムで発展の恩恵がほぼ届かない、あるいは敢えて政治的に無視されている人々のこと。 民族・宗教間の対立や制度化された身分など、事情は様々でもそこで起きていることと必要とされているものは部落差別と同じじゃないだろうか。 前半の歴史部分はWikipediaには剽窃という話もあるようだけど、古くからの奴隷階級がそのまま近世の穢多身分、近代の被差別部落になったのではなく、宗教の穢れ思想から次第に卑しめられた仕事を押し付ける先が穢多で、それが制度として定まりさらに差別され、解放令が出た後は職を失いさらに経済的に困窮するものが出て、というもの。 中世、近世部分は日本史の説としては古い印象。この辺は最新の日本史の本をあたりたい。 後半の差別撤廃のための運動論が熱くておもしろい。おすすめ。 部落内の有産中産階級と無産階級の存在とその目指すところの違いの指摘は、LGBT運動におけるゲイ男性の経済力、社会的地位の高さを思い出した。 最終的に階級論になるんだけど、無産階級どうしなら部落民とそうでない人たちが連帯できる、というのはちょっと幻想的かもしれない。 しかし、結局、経済問題であって資本主義社会のまま差別撤廃などになったとしても、本当にそれで解放されるか?は理解できる。 P266 「資本家経済の下における労働者は、それが部落民であろうと、普通民であろうと、朝鮮人であろうと、等しく商品としての労働力である。無産部落民もまたその組織の中に織りこまれては、しだいに部落民としての封建的色彩を失い、一般無産者の生活方法によって律せらるべき条件をつくる。この意味において、資本家は最大のデモクラットとも言うべきであろう。」 「資本家は労銀の安い朝鮮人労働者を使うことを知っているとともに、部落民なるがゆえに農産物あるいは原料品を廉価で入手するの利益を知っている。資本家は、決してこの事実を見逃さない。 ことに資本主義の最終段階に近づくにつれ、帝国主義的反動政策は極度にこの状勢を保守する。かくて最大のデモクラットたる資本家は、最大のタイラントである。」 (この前半はフリードマンが『資本主義と自由』に書いてたのと同じなので、マルクスが書いてるのかな) 婚姻制度批判と同性婚の是非みたいな。 男々しい産業的殉教者って書き方は「ん?」とは思った。
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若干19歳でここまでの書を書き綴れることにまずもって驚嘆の意を表したいと思う。 一般無産者の運動は、究極においては社会組織変革の問題であっても、当面の問題として日々の経済的闘争をする。 水平社の運動は、究極においてその綱領に言うがごとく、全人類の解放を目的とするが、当面の問題と...
若干19歳でここまでの書を書き綴れることにまずもって驚嘆の意を表したいと思う。 一般無産者の運動は、究極においては社会組織変革の問題であっても、当面の問題として日々の経済的闘争をする。 水平社の運動は、究極においてその綱領に言うがごとく、全人類の解放を目的とするが、当面の問題として差別待遇廃止の要求をする。ただ、これのみに終わるものではない。(p259-260) われらの運動は、蹴飛ばされ踏み躪られながら、なお死にえなかったわれわれが流血の闘争である。われわれの祖先は不甲斐なかった。そしてわれらは、今われらが流血の闘争をもって自らの解放を叫ばざる限り、次のジェネレーションも、またその次のジェネレーションも、永遠に鉄鎖より放たれる日のなきを想う。もしもわれらの闘争途上において、暴力が行使されることがあるならば、それは正義と自由を守るための暴力、倫理の暴力である。 われらの進み行く方向は、われらが最もよく知っている。この必然と不可避とは、歴史の教えるところである。解放の過程をたどる歴史は、階級闘争の深化とともに、人類がその有史以前の夜明けに近づきつつあるを指し示した。 白熱せる階級闘争の裡に、われらはわれらの進むべき方向を見る。赤き血潮に染め上げられた旗を押し立て、われらは力強く抗争し行く。階級闘争は、われらに運動の最後の帰着点を指し示す。そしてそのとき、すべての被搾取階級が解放されるとき、われらもまた解放されるであろう。(p287-288)
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被差別部落の起源の推察から、その形成、法制化、開放令から現在(大正11年くらい)に至るまでの歴史が詳細に書かれている。初めて知ることが多く勉強にはなった。が、いかんせん左翼のパンフレット的な口調が読みづらい。
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穢多、非人 前半は社会から排除された人間について 後半はそのような現状を作り出した社会への声が書かれている 同じ人間がなぜ人間ではないのか なぜ有産階級の者が助けないのか なぜ社会、司法がそれを認めたのか 差別、社会への疑問もあるが、人間とはなにかとも考えさせられる ただの被差別...
穢多、非人 前半は社会から排除された人間について 後半はそのような現状を作り出した社会への声が書かれている 同じ人間がなぜ人間ではないのか なぜ有産階級の者が助けないのか なぜ社会、司法がそれを認めたのか 差別、社会への疑問もあるが、人間とはなにかとも考えさせられる ただの被差別部落についてではない 社会へに痛烈な批判も含んでいる とても奥の深い一冊
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