欲望という名の女優 太地喜和子 の商品レビュー
いい女、凄みを感じさせる女として、太地喜和子は私の中で、燦然と輝き続けている。 田舎にいるので、生の舞台は『薮原検校』のお市をたった一回見ただけ。財津一郎と太地喜和子の演技だけがまぶたに焼き付いた。 もう一度チャンスはあった。『唐人お吉ものがたり』が名古屋へ来た。どうしても...
いい女、凄みを感じさせる女として、太地喜和子は私の中で、燦然と輝き続けている。 田舎にいるので、生の舞台は『薮原検校』のお市をたった一回見ただけ。財津一郎と太地喜和子の演技だけがまぶたに焼き付いた。 もう一度チャンスはあった。『唐人お吉ものがたり』が名古屋へ来た。どうしても行けなくなり悔しがっていたら、その直後に「太地喜和子、車で海に転落して死亡」の報。「瞼の女優」となってしまう。 その太地の評伝があること知る。 太地が現実と虚構のあわいを行き来し、「どこまでも女優であることを欲望する女」であったことが浮かび上がってくる。演出家の木村光一がその本質を見事に言い当てている。「地図には海と陸の境目って書いてあるけど、年中波は打ち返しているのが現実でしょ。今はどこなのって分からないみたいに、彼女の中に演技者として収拾のつかない混乱はいつもありました」 「出生の謎」と「事故死の謎」。 ほんとうの母親を知りたいと言っていた太地は、出生を捏造までして貧しく哀しい女でありたかったのか。事故死についても、海へ自動車ごと転落したのに脱出しようとした形跡が見当たらないという。しかも自分の寿命は52歳といつも口にしていたともいう。太地は沈みゆく車の中で、生を捨て死を選択したのか。人生の始まりと終わりを演技して太地喜和子は消えた。 著者長田渚左は、太地から「あたしを書きなさいよ」と言われてこの謎の多い評伝を著すことになったという経緯を書き記している。女優太地喜和子が、シナリオは長田に口述筆記させ、人生の幕引きは自分で演じたかのように思えてきて、余韻が醒めない。
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