昭和金融恐慌史 の商品レビュー
石橋湛山とともに、在野のエコノミストとして活動をおこなった高橋亀吉が中心となって、昭和恐慌の原因をさぐるとともに、その経緯をたどっている本です。 著者たちは、「昭和金融大恐慌史は、その誘発原因よりも、その遠因なり、近因なりの真相の究明が最も重大なポイントになる」と語り、日本の銀...
石橋湛山とともに、在野のエコノミストとして活動をおこなった高橋亀吉が中心となって、昭和恐慌の原因をさぐるとともに、その経緯をたどっている本です。 著者たちは、「昭和金融大恐慌史は、その誘発原因よりも、その遠因なり、近因なりの真相の究明が最も重大なポイントになる」と語り、日本の銀行制度の「前近代性」が深刻な恐慌を引き起こした根本的な原因だと指摘しています。この「前近代性」とは、日本の銀行が機関銀行としての性格をもっており、密接な関係をもつ取引先に対して放漫な融資をおこなってきたことを意味しています。とくに、恐慌の中心となった鈴木商店と台湾銀行の癒着の実態について、くわしい解説がなされています。 また、関東大震災後に政府による緊急措置がとられたものの、すでに破綻に瀕していた会社や銀行の延命措置のために利用され、近代化が遅れたことで、その後の恐慌の深刻化を引き起こしたことが指摘されています。こうした原因の検討がなされたうえで、金解禁にいたるまでの政策決定のプロセスや、取り付け騒ぎにはじまる恐慌の経緯についての説明がなされています。 著者の一人である森垣淑は、1993年に文庫化されるにあたって書かれた「はしがき」で、バブル崩壊という当時の日本の状況に触れて、「近代化いまだ不十分というべきか」と嘆じています。
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専門書だが、あいにくこの分野に対する知識はゼロに等しい。とりあえず理解できるところだけをかいつまみながら、そのほかの部分は糸を通すようにして読んでいった。しかし、教科書的に理解していた当時の金融恐慌も、こうして詳細に知るとさまざまな要因があったのだと(当たり前だが)、気付かされる...
専門書だが、あいにくこの分野に対する知識はゼロに等しい。とりあえず理解できるところだけをかいつまみながら、そのほかの部分は糸を通すようにして読んでいった。しかし、教科書的に理解していた当時の金融恐慌も、こうして詳細に知るとさまざまな要因があったのだと(当たり前だが)、気付かされる。
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高橋亀吉 「 昭和金融恐慌史 」昭和2年の金融恐慌の原因を究明した本。小銀行の濫立が 金融恐慌に至った経緯がよくわかる。小銀行の濫立は 現代の仮想通貨業者の濫立と結びつく。 時代に遅れた銀行制度=産業の銀行の強い結合→小銀行の放漫経営→預金者の取付騒ぎ→銀行倒産 恐慌の原因 ...
高橋亀吉 「 昭和金融恐慌史 」昭和2年の金融恐慌の原因を究明した本。小銀行の濫立が 金融恐慌に至った経緯がよくわかる。小銀行の濫立は 現代の仮想通貨業者の濫立と結びつく。 時代に遅れた銀行制度=産業の銀行の強い結合→小銀行の放漫経営→預金者の取付騒ぎ→銀行倒産 恐慌の原因 *蔵相の失言→渡辺銀行への取付騒ぎ(預金者の預金払戻) *台湾銀行と鈴木商店の絶縁→鈴木の経営する銀行の取付騒ぎ *台湾銀行、十五銀行(華族銀行)の休業
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ちょっとした読み物としてまぁまぁ面白い。 文体というか記述スタイルはいかにも昔の“講談調”、時代を感じさせてくれる。 「歴史は繰り返す」、これはよく言われる警鐘だが、実は歴史をフレームという観点から見れば至極当たり前のこととも言える。要するにフレームを構成する要素が時代とともに変...
ちょっとした読み物としてまぁまぁ面白い。 文体というか記述スタイルはいかにも昔の“講談調”、時代を感じさせてくれる。 「歴史は繰り返す」、これはよく言われる警鐘だが、実は歴史をフレームという観点から見れば至極当たり前のこととも言える。要するにフレームを構成する要素が時代とともに変わっているだけで、その本質は基本的には変わらないということ。 だからバブルは繰り返す、それが人間の宿命なんだろう。とは言うもののやっぱり一番腐ってるのは政治。政治=人間のコミュニケーション行為の極限であるがゆえに善悪の全てが高次元(?)に備わっている。だからしゃあないと言えば身も蓋もないんですが、それでもどうしても納得できないというのは当方の青さの成せる業ですか。
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タイトル通り、昭和金融恐慌の歴史を辿った一冊。金融恐慌の背景として銀行経営の前近代性を挙げている。鈴木商店と台湾銀行の抜き差しならなくなった関係については日本経済史の授業で必ず触れるところだと思うが、改めて読むと、信じられないくらいに恐ろしい。
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戦前に発生した昭和金融恐慌の研究本。どのようにして金融恐慌は発生し、どのような結末を迎えたかが丁寧に書かれている。ニューヨークと上海(戦前のアジア市場の中心)の投機筋が円をおもちゃにしていた事実や、政商達の放漫経営のつけを国が払う事を国民が拒否し、結果国民が痛手を受けた事。まる...
戦前に発生した昭和金融恐慌の研究本。どのようにして金融恐慌は発生し、どのような結末を迎えたかが丁寧に書かれている。ニューヨークと上海(戦前のアジア市場の中心)の投機筋が円をおもちゃにしていた事実や、政商達の放漫経営のつけを国が払う事を国民が拒否し、結果国民が痛手を受けた事。まるで、平成金融恐慌を見ているような錯覚を覚え、『人間ってあまり変ってねー』と絶望する一冊。
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当時の時代背景や銀行の性質が分かるが難しすぎてよく分からない。 これを理解して読むには専門知識が必要だろう。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
【感想】 第一次大戦から1927年の金融危機へと至る過程を銀行の「前近代性」を通して詳細に説明する。この間の複数の恐慌を経済史として取り上げた数少ない書ではないかと思う。また、史料が詳しい。 本書で銀行の「前近代性」とは、⑴銀行が機関銀行として企業と深く癒着していること、⑵中小企業が小銀行と繋がるように銀行格差があったこと、⑶経済合理性が政治的配慮によって歪められたこと、など複数の要素から説明されてている。そのような銀行は大戦特需に積極的に加担し、過度の投機を抑制することは出来なかった。この間、企業は事業規模を拡大し、銀行の性質は変わらなかったため、平常経済に戻ると多くの不良債権を抱えた。大正9年反動不況や大震災不況における政府の対応は前近代的な性質のうち、⑴⑵に強く影響されたとえいる。すなわち、銀行の広く経済全体に与える影響を懸念し、企業の救済が政治的配慮•癒着によってなされ、本来破綻させるべき企業まで安易に救済した結果、問題の根本的対応が先に持ち越された。こうした銀行の不良債権と企業の癒着の問題は「財界の癌」として、1927年の金融恐慌でより大きな痛みを伴って処理されて行く。 筆者は軽率な断定を避けつつ、「わが国財界の疾患の根源は、実にこの九年反動対策の失敗」(p284)と述べ、この時期が不健全企業の淘汰の絶好の機会だったと主張する。その上で、真の原因を⑴事態の性格誤認に基づく失策、⑵財界救済の名のもとの弥縫の繰り返しであると述べつつ、さらに重視すべき理由として、日本の「金融機構そのものが、過度の投機を抑制すべき機能にきわめて不十分で、その横行を許すがごとき前近代的仕組み」を備えていたことから不可避であったと結論する。 安易な比較は良くないが、2008年のリーマンショックを見る限り、「近代的」な銀行であっても、担保価格の上昇から融資基準の緩和によって投機に加担する誘因が存在するのではないか。バブルの中で融資基準を厳格化することは政治的に可能か。中央銀行は金融政策でバブルを抑えられるのか(FRBはNOと言っている)。むしろ、過度の資本の自由化が問題ではないのか。数々の疑問から、この銀行の「前近代性」に原因を求める結論にはあまり同意出来ない戦後も日本の銀行は、1960~70年代まで同じような仕組み=護送船団方式で成長しながらも、バブルは起きなかった点も挙げられる。 実際、バブルは破裂するまで好況と同視され、それを自己の責任で政治的に抑制するよりかは、あるがままに任せた結果、無責任に破裂させることの方が普通だ(民主主義なら尚更)。むしろ、一番の理由は、バブル崩壊後の処理において、(日本のバブル破綻処理の失敗のように)実務家が問題の認識を誤認したこと、及び認識を一致させて対応することの政治的難しさであるように思う。このことは、多元化された政治社会ほど難しいかもしれない。純粋な経済合理性があったとして、不可避的に政治的配慮により経済政策は歪められる、このことは多言を要しない。
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昭和2年の金融恐慌について、豊富なデータをもとに丹念に論じている。 昭和金融恐慌は、現代においても顧みられるべき素材。政策当局の対応やモラルハザードの問題などを示唆してくれる。
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