草の竪琴 の商品レビュー
あまりに繊細で、ぞっとする。コリンの周りの心優しい理解者たちは皆どこかおかしくて社会になじめない孤独なひとびとで、そんな人たちが身を寄せ合うようにしてひとつの樹の上に集まる、カポーティーはこんな風に世界を見ていて、そしたらまぎれもなくこの世できちんとたくさんの人のなかで生きること...
あまりに繊細で、ぞっとする。コリンの周りの心優しい理解者たちは皆どこかおかしくて社会になじめない孤独なひとびとで、そんな人たちが身を寄せ合うようにしてひとつの樹の上に集まる、カポーティーはこんな風に世界を見ていて、そしたらまぎれもなくこの世できちんとたくさんの人のなかで生きることはできなくて、でも樹の上の優しい世界にも救いはなくて、なんかもう本当に繊細で繊細すぎて生きられなくて、どうしようもなく悲しい話だと思った。文章自体もとても繊細で、言葉というものの美しいところをすべて集めたような美しさで胸が苦しくなるし、素晴らしい本なんだけれども苦しくて、読みながら怖くてどうしようかと悩んだ。ある意味鈍感ということは生きる上での防御になるし、こういった繊細さは世界に殺されるものだし、キャッチャーが提示するように解決策ははっきり言ってないし、文学の本質というか素晴らしさはまぎれもなく人間のその繊細さを大切にするように光を当てるところにあるということを確認した。
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主人公の心の拠り所はドリーという存在にあったのだろう。 「樹」は現実からの休息地。そして心象風景。 静かに孤独を見つめるコリンの内面は哀しさを催す。
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「家」とは何か、を深く考えさせられた作品でした。 それはその人の魂の置き場で、決して「ただの生活の場」ではない。 だからこそ、彼らの家は、あの木の上だったような気がしてならない。
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久しぶりの再読。 両親と死別し、遠縁にあたるドリーとヴェリーナの姉妹に引き取ら れた少年コリン。 夏の終わりのある日、コリンは自分たちの居場所を探すため、ドリ ーとその友達のキャサリンたちと共に近くの森にあるムクロジの木 の上で暮らすことになり…、というお話。 どう考...
久しぶりの再読。 両親と死別し、遠縁にあたるドリーとヴェリーナの姉妹に引き取ら れた少年コリン。 夏の終わりのある日、コリンは自分たちの居場所を探すため、ドリ ーとその友達のキャサリンたちと共に近くの森にあるムクロジの木 の上で暮らすことになり…、というお話。 どう考えても長くは続かなさそうな、その木の上の小屋での生活 は、きらめきと哀しみを胸に刻み、終わるのだろう。 カポーティの中で、一番好きな作品。
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カポーティの小説の中でもかなり好きな作品で、わかりやすいものの一つです。カポーティ自身の子供時代の思い出などが反映されているようで、繊細な心理と、豊かな自然を遊び場とする健康さが読んでいて気持ち良いです。人間模様にきゅうきゅうとしながらも、主人公とともに歩いていけるようなストーリ...
カポーティの小説の中でもかなり好きな作品で、わかりやすいものの一つです。カポーティ自身の子供時代の思い出などが反映されているようで、繊細な心理と、豊かな自然を遊び場とする健康さが読んでいて気持ち良いです。人間模様にきゅうきゅうとしながらも、主人公とともに歩いていけるようなストーリーです。
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カポーティの分身である主人公が少年時代を回想する、全体的にノスタルジックなトーンの漂うぬくもりのある作品。技巧的にも、旅や死を表わすモチーフがたくさん埋め込まれていたり等、カポーティの才能を強く感じる。
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「ティファニーで朝食を」「冷血」が有名なカポーティ。読んでいる間絶えず、森や、土や、川の匂いがしていたような気がする。文章も美しい!この前に読んだ作品も素敵でしたが、この作品でカポーティをがっつり好きになった。
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ともすると、綺麗って悲しいこと。 それでも、ドリーみたいな年のとりかたができるって素敵だし、恵まれてること。 「夢を見れない男なんて、汗をかかない男といっしょ。毒を溜め込んでいるものですよ。」 「ねぇ、コリン。あなたにはあたしの年になるまでに分かっていてもらいたいの。世界ってつま...
ともすると、綺麗って悲しいこと。 それでも、ドリーみたいな年のとりかたができるって素敵だし、恵まれてること。 「夢を見れない男なんて、汗をかかない男といっしょ。毒を溜め込んでいるものですよ。」 「ねぇ、コリン。あなたにはあたしの年になるまでに分かっていてもらいたいの。世界ってつまらないところ、嫌なところなのよ。」 けど、空想の世界よりもリアルのほうがよっぽど豊かなはず!!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
木の上に住む人々は、どこかしら社会への順応を意識的にしろ無意識にしろ拒んでいる。ドリーが、自分のピンク色の部屋に妹を決して入れないように、何とか安全地帯をこしらえるが、コリンが過去の自分を「閉じたえん、つまり環の羅列であって、決して螺旋形のように次から次へと連なっていくことはな」いと言っているように、そこからは何かアクションを起こさない限り出ることができない。 コリン自身、最後に跳躍を果たしたように、木の上での生活は、その安全地帯からでなければならないことを生活者に明示した。彼らにとっても読み手(彼らの目線を通してから、ではあるが)にとっても、保安官など木から引きずり降ろそうとする側の人間は、悪魔のように映る。しかし、これは手を替え品を替え、我々現代人だって同じようなことをしている。異端者は「困った人」になっちゃうし、木から下ろす行動自体が悪だとも思わない。 同じような葛藤を抱えた人々と分かち合い、愛することができた時点で、木はその役割を果たすことができたのだろうと思う。 ただ、引き摺り下ろす側の必死な姿には、どこかに羨望の気持ちが潜んではいないだろうか。現に、木の上の生活はとても魅力的に描かれており、正直うらやましい。木の上にまではのぼらなくとも、こうして時間を趣味に使う空間くらいは、何とか確保し続けていきたいと強く感じた。 最後に。タイトルから察しが付くように、詩的な文章が多い。p46あたり読んだら、もう部屋に蛾が出ても怖くなくなると思う。見る目をしっかり養っていれば、世界はいくらでも美しくなるんだと実感させてくれる小説だった。
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カポーティの小説の中に出てくる登場人物に、わたしはいつも共感する。だけど、その登場人物が創り出す人との壁、というか薄い膜みたいなものに、奇妙さを抱く人は多いらしい。(解説によると) 奇妙さじゃなくて、寂しさかな。 じゃあなんだ、わたしは社会不適合者!?と思ったり思わなかったり。
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