ナチス裁判 の商品レビュー
(2006.07.12読了)(2005.09.16購入) 日本の東京裁判に当たる、ドイツのニュルンベルク裁判の話だと思って読み始めたのですが違っていました。 この本で、「ナチス裁判」と読んでいるのは、ナチス戦争犯罪人を裁く3つの裁判のことです。1.連合軍の裁判、2.ナチスに占領さ...
(2006.07.12読了)(2005.09.16購入) 日本の東京裁判に当たる、ドイツのニュルンベルク裁判の話だと思って読み始めたのですが違っていました。 この本で、「ナチス裁判」と読んでいるのは、ナチス戦争犯罪人を裁く3つの裁判のことです。1.連合軍の裁判、2.ナチスに占領されていた国々の裁判、3.ドイツ自らが行った裁判。この本で述べているのは、主に2と3です。 ドイツのナチス戦争犯罪人に対する捜査機関は、「ナチス犯罪追跡センター」と各州の検事局です。ナチス犯罪追跡センターは、主に外国にいる容疑者の追及を行います。 ナチス・ドイツが敗れた1945年5月7日の翌8日を起点にして、1992年8月末に追跡センターがまとめた事件処理の結果は、容疑者は10万3823人。このうち6488人に有罪が認定された。有罪になった比率は6.3%です。 戦後すぐに、追跡センターができたわけではなく、1958年10月です。 ドイツ国内では、追跡センターの活動に反発するする人たちも多数いたようです。普通どの国でも自国民の戦争犯罪を裁く事はありません。日本、アメリカ、ユーゴスラビア、何処も同じでしょう。そういう意味ではドイツは特別といえます。特定の民族の殲滅を行ったというところがそのままでは済まされない原因とも言えると思います。 ナチスの犯罪に対する時効は、廃止され、今でも追跡・逮捕・裁判は続けられている。 ●ニュルンベルク裁判(83頁) 連合軍が逮捕したナチス指導者は、23人。1945年8月12日、ニュルンベルクに護送された。裁判は、1945年11月20日から始まった。403回の審理が重ねられ、1946年10月1日に判決が言い渡された。死刑12人。終身禁固刑3人、有期禁固刑4人、無罪3人である。死刑の執行は、1946年10月16日午前1時過ぎに開始された。 ●上官の命令は絶対か(207頁) ニュルンベルク国際軍事裁判所規約第8条には「被告が政府または上官の命令に従い実行した行為は、責任を免除しないが、正当な理由があれば刑罰軽減のため考慮することができる」と規定されている。 ドイツが東ドイツと西ドイツに分かれていた時代に、東から西に脱出しようとした人を射殺した兵士を東西ドイツが統一された後、裁く裁判が行われ、政府や上官の命令であっても、人間の生命に関わる重大事に直面した時、人間的良心を放棄する事は許されない、という判決が下されている。 (この論理を広げてゆくと、たとえ戦争であったとしても、人を殺す事は、犯罪とされる時代が来そうである。そうすると、兵器は、人間には危害を与えないものを作るという方向に行くだろう。) 著者 野村 二郎 1927年 東京生まれ 1952年 朝日新聞社に入社 1987年 千葉工業大学教授 ☆関連図書(既読) 「夜と霧」V.E.フランクル著・霜山徳爾訳、みすず書房、1961.03.05 「ヒトラーの抬頭」山口定著、朝日文庫、1991.07.01 「わが闘争(上)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20 「わが闘争(下)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20 「荒れ野の40年」ヴァイツゼッカー著・永井清彦訳、岩波ブックレット、1986.02.20 「ヒトラーとユダヤ人」大澤武男著、講談社現代新書、1996.05.20 (「BOOK」データベースより)amazon ユダヤ人死者600万をはじめとする、史上最悪の戦争犯罪はいかになされたか?全世界からの囂々たる非難の中、ドイツはいかに自らを裁いたか?日本との比較は?10万におよぶ容疑者の追及、時効の壁との闘い、民間追跡者の執念、「上官の命令」と良心の問題など、法廷・議会で闘わされた激しい論争を通し、巨大な戦争犯罪とその裁きの全貌に迫る。
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ドイツの戦争は終わらない。それにしてもナチスの悪行は数知れないし、それらが戦時中は黙認されていたとは。時代は恐ろしい。
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