東洲斎写楽はもういない の商品レビュー
ついに写楽の正体が明…
ついに写楽の正体が明かになる。文献・史料を駆使した謎解きに脱帽。
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東洲斎写楽は謎が多い…
東洲斎写楽は謎が多い絵師ですよね。その東洲斎写楽の人生にせまります。
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うーん?分かったよう…
うーん?分かったような分からないような、、、、、?
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うわ〜、難しい。 文献を丁寧にひも解いていく研究って、こういうことなんだな〜。 半分もわからなかった。 島田荘司の写楽本を読んでから、これを読んだけれど、両者は全く違う結論に行きついている。 ものすごく端折って、ポイントだけ言うと、明石散人は「とうしゅうさい」...
うわ〜、難しい。 文献を丁寧にひも解いていく研究って、こういうことなんだな〜。 半分もわからなかった。 島田荘司の写楽本を読んでから、これを読んだけれど、両者は全く違う結論に行きついている。 ものすごく端折って、ポイントだけ言うと、明石散人は「とうしゅうさい」という読み方は間違いで「とうじゅうさい」が正しい、ということを、いろんなところから論拠を引っ張ってきて証明し、ある人物に行きつく。 そして写楽の漢字の意味を解き明かす。「写」と言う漢字がポイント(パソコンじゃ変換できないから説明できない) 鍵となる資料は、写楽研究の端緒となったクルトによる「SHARAKU」 日本人研究家はこの本の記述をあまり尊重しないようだが、著者は、写楽の正体なんてこの本で完結しているじゃないか、というスタンス。 すなわち「斎藤十郎兵衛」写楽説だ。 あれあれ? そんな説を出しちゃったら、写楽別人説の方々に鼻で笑われちゃうんじゃないの?と思われてしまいそうだが、論理の破たんがどこにも見当たらない。(こんなこと言えるほど内容を理解していないけれど…) あまりに難し過ぎることを著者も理解しているのか、最後の章で、すべて解説している。 なおかつ巻末には高橋克彦による解説がある。これを読んで、やっと本の内容が理解できた。 島田荘司がこの本に全く触れていない意味がわかった。 反論するには途方もない労力が必要だろうし、そもそも反論できる人がいるのかどうかもわからない。こういうときは無視するに限る。 これからも写楽の正体を探る研究本は出るだろうけれど、たぶんこの本は無視され続けると思う。
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