友達の作り方 の商品レビュー
高橋睦郎という方は詩人で、その方の仕事や日常を通じて出会った著名人とのエピソードエッセイ集のような仕立て。白状すると、私はこの人の詩を読んだ事がないのだが、この本で紹介される三島由紀夫の私生活が読みたくて、という動機だ。 ほかにも多数紹介されるのだが、時代が重ならないせいで、そ...
高橋睦郎という方は詩人で、その方の仕事や日常を通じて出会った著名人とのエピソードエッセイ集のような仕立て。白状すると、私はこの人の詩を読んだ事がないのだが、この本で紹介される三島由紀夫の私生活が読みたくて、という動機だ。 ほかにも多数紹介されるのだが、時代が重ならないせいで、それと私の知識が乏しいせいで残念ながら、知らない人が多い。澁澤龍彦や楯の会の森田必勝なんかは私も著作等で知る事があったために興味深く読んだ。 ー ぼくがはじめて会った頃の三島さんはすくなくともぼくの見た限りでは政治的ではなかった。当時の整形前のハイティーン歌手三田明が大のご贔屓で、「もし三田明が天皇だったら、天皇制のために死んでもいい」というのを聞いたこともある。「老人の天皇はエロティックじゃなくってね」ともいっていた。そんな三島さんがほんの二、三年のうちに過激なまでの天皇制護持論者になる契機は何だったか。同じく政治的でないといっても、三島さんは非政治的ではなく反政治的だったのだろう。どっちが強力かは別にして、非は静的だが反は動的である。動的なあまり、反政治的はなまなかの政治的以上に政治的になることがある。そのなまなかの政治的が政治的という名の日常主義だったら、なおさらだ。いま一つ、エロティシズムという方向から考えてみるのも、有効かもしれない。三島由紀夫という芸術家を導いていた根本原理はエロティシズムだろうが、エロティシズムという視点から見れば、あらゆる運動はエロティシズムの発動にほかならない。もちろん、政治もエロティシズムの一形態ということになる。これを逆に、エロティシズムは動的である限りしばしば政治的になる可能性がある。と以上のように説明することもできるのではないか。 三島由紀夫とエロティシズムを関連付けて理解するという点には非常に共感するところがある。ところで、タイトルの「友達の作り方」だが、最高にダサいし中身も異なる。どんな狙いがあったのかは分からないが、今更ながら、自分が手に取る本のタイトルの人目を気にしている事を改めて自覚した次第である。
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