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岩波講座 宗教と科学(別巻1) の商品レビュー

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2024/09/08

この本のタイトルの「基礎文献」という意味は、1巻から10巻までに出演した論稿者が、これまでに公表している既出文献ということだとわかった。 各論の前振りとして、各著作者が、この既出論文がいかに今回の「宗教と科学」シリーズにふさわしいかを語る「解題」という章を設けている。 この本の...

この本のタイトルの「基礎文献」という意味は、1巻から10巻までに出演した論稿者が、これまでに公表している既出文献ということだとわかった。 各論の前振りとして、各著作者が、この既出論文がいかに今回の「宗教と科学」シリーズにふさわしいかを語る「解題」という章を設けている。 この本の「意識について」という河合隼雄さんの論稿は、河合さんの「生と死の接点」の本の中の「意識について」という文章。 前振りの「解題」のなかで、「無意識は意識の中でしか語れない」という逆説的なことを述べている、つまり、無意識は意識の架空の産物ということである、しかし、「自分の夢などの意識を考えるとき、無意識の素材として定義する方が説得力をもつ」ので方法としてすぐれていると言っている。「一応「意識」ということに焦点を当てて、宗教と科学の問題を論じたのが、この評論であると言えるだろう」とも。 本文の内容は「生と死の接点」と同じなので感想は省略。(最後のところだけ以下に抜粋しておきます) スポーツと関連して、現代では体力づくりや健康の問題が非常に強い一般の関心をひきつつある。これは、近代の心と体の二分法によって、心の側から見失われた「たましい」が体の方に無意識的に結びつき、「体」を大切にすることが、たましいを大切にすることにまで無意識的につながっているためと思われる。従って、「体」を大切にすることに人々は途方もない情熱を傾けたり、金を使ったりするのではなかろうか。健康食品や、健康維持のための多くの薬などの取り扱いや、ジョギングをすることなどに、強迫的な傾向が強く見られる人は、それが無意識のうちに宗教的儀式となっているためと思われる。近代人が存在を否定したたましいは、いろいろなところに、そのはたらきを示しているのである。現代人としては、もう少しそのあたりのことを自覚して、もっと適切に自分の意識を磨くことを考えたいものである。(私:これは1986年ごろ書かれた文章ですが、2024年でも大丈夫な内容ですね)

Posted byブクログ