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その言葉を の商品レビュー

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2018/01/21

「飛楽俊太郎と再会したのは、ぼくが二年間の浪人の後、東京の中堅私大に入学し、東北の田舎町から上京してアパート住まいを始めた年の暮れ、1976年のことであったと思う」と始まる冒頭から、当時の70年代後半の時代の、同時代を過ごした空気が立ち上ってきて、どんどん引き込まれてしまった。 ...

「飛楽俊太郎と再会したのは、ぼくが二年間の浪人の後、東京の中堅私大に入学し、東北の田舎町から上京してアパート住まいを始めた年の暮れ、1976年のことであったと思う」と始まる冒頭から、当時の70年代後半の時代の、同時代を過ごした空気が立ち上ってきて、どんどん引き込まれてしまった。 初めて読んだのはこの文庫本が出た93年から程なくだったと思うが、長らく本が行方不明になってしまっていて、それが部屋の整理をしたおかげで出てきたのでまた読んでみた。なんと93年からは25年も経っているのだ! 初出が「すばる」1989年10月号なので、書かれたのは12,3年位前を回想する、という形だが、今年からすると42,3年前ということになってしまうのですねえ。 ぼくはごく普通の高校生で、大学生だ。ジャズ研に入ってジャズ喫茶に入り浸っているが、一方再会した飛楽は、東北の片田舎で近隣の田舎秀才の集まる高校にあって異彩を放っていた俊才だったが、高校三年の夏に故郷を出奔する。長髪が短髪になり作業服を着て河川敷で一人サックスを吹いていた。3年の間に何があったのか。ジャズ喫茶に集まる飛楽と関係のある年上の女性ビリーさんは、飛楽について「何でもいいから、彼が他人に向けて、誰でもよい誰かに向かって、言葉を発する必要がある」という。 「その言葉を」は高校から大学、そして社会人へと連なる10年間、そして飛楽の最後の情報に触れる86年の事を、現在のぼくが語るという形式で描かれる。ぼくはごく普通の高校生であったし、今もそれなりに学生生活を楽しんでいてそして社会人になる。そこに現れた飛楽は高校でも、ジャズ喫茶でも、ぼくとは違う次元の存在として異彩を放つ。そこに学生運動の最後尾に触れた飛楽、という設定が加わる。 あとがきには「ぼくの生きてきた時代の風景を小説の語りのなかに写しとろうと試みたもので、多くの作家が青春の終焉を確認するところから創作をスタートするなら、その意味では処女作にあたるかもしれない。だから内容はどうしても気恥ずかしく照れ臭いが、深い愛着がある。同じ時代を生きた人の共感を、密かに、熱く望んでいることもまた告白しておきたい」とある。その意味で奥泉氏とはひとつ違いの自分はまさに、同じ時代の空気を吸っていた。描かれるジャズ喫茶、すでに歴史となっていたコルトレーン、ひとり河原でサックスを吹く飛楽の姿には異質だが何か自分のどこかにある一部分も感じたりもする。 再会した飛楽は変貌していたが、ぼくもそれは同じなのだ。変貌に対する戸惑いと受容。再会と別れ。2018年の今70年代は遥か彼方で、しかしすぐそばにあるようだ。 <作家の読書道 奥泉光> 小説では高校の自由研究授業でカミュの「異邦人」を読んだとあるが、氏の川越高校時代に自主講座がありカフカの「変身」を読んだとある。小説では大学入学時に東北から東京に出てくるが、奥泉氏は母の実家の山形で生まれるが、ほどなく東京埼玉に引っ越し育ったとある。小説に出てくる「近隣の田舎秀才の集まるぼくたちの高校」は川越高校もモデルになってるのかも。飛楽は「異邦人」を原典のフランス語で読んでいる噂、ということだが、こういう、ひとつ抜けた人、っていうのがクラスに1人はいたなあ、なんて思いだした。

Posted byブクログ