エクセントリックス の商品レビュー
求めていたものを見つけていたような気がする。 ひとの中で生きていると、どうしても不協和音を感じずにはいられない。あまりの隔たりに驚きと絶望を感じてしまう。さりとて、不協和音を感じるこの自分を抹消することもできない。そういう不条理を抱えて生きてしまっているのがこの他でもない自分であ...
求めていたものを見つけていたような気がする。 ひとの中で生きていると、どうしても不協和音を感じずにはいられない。あまりの隔たりに驚きと絶望を感じてしまう。さりとて、不協和音を感じるこの自分を抹消することもできない。そういう不条理を抱えて生きてしまっているのがこの他でもない自分である。 だからこそ、その問いを問いのまま生きてしまっているのが不思議なのだ。きっと多くのひとがエクセントリックを変な人間と感じるのは、おそらく、小さい時誰もが疑問を抱いてはずのこういう問題が発する声に耳を塞いでいるからなのだと思う。ある意味ではこれは病気なのかもしれない。そういう自分という存在に強く惹かれるのは、特定の人間が持つ特性でなければなんであろうか。 逆にエクセントリックたちはそういう問いを愛し、それとともに生き、その真実と、社会というものの概念性・虚偽性を知っているから、強い自己愛に逸脱性を兼ね備えるのだ。知っているから、何か壊れた機能を示すわけではない。エクセントリックたちに精神病者の割合が圧倒的に少ないのはここからきている。 こういうエクセントリックであるが、それでも、その生き方が多様に散らばっているのが不思議である。在る者はひたすらにひとと交わることを避けたかと思うと、強い衝動から何とかして物を伝えてやろうと意気込む者がいたり、想像の翼を広げて遠くに飛んでいってしまったり。同じような傾向を示すにも関わらず、その表現がこれほどまでに散らばっているのはなぜだろうか。エクセントリックの表現は、一体に何が突き動かしているのだろうか。そのように考えていくと、ぽっかり、宇宙の穴に投げ出された気分になる。 この調査は対象のもつ価値だけでなく、調査方法や対象者集めの緻密さも併せ持つところもまた重要だ。こういう方法がとれるのは、筆者がエクセントリックという人物に対してその特性というものを深く知っているからこそできる。彼もまたエクセントリックの一人だと言える。 調査からわかる通り、やはりこの地球のどこかに、こういうひとたちが必ずいるということを知れるのは、深い慰めに似た何かを感じられる。
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