プラトン全集(4) の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
プラトン、だんだんレベルが上がってきたのは感じていたが今回の2作はすごく難しかった。 「パルメニデス」はソクラテスの提示するイデア論の議論から始まる(そして若きソクラテスは矢継ぎ早に出されるパルメニデスの屁理屈に対応できない)が、その後の「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」で有名なパルメニデスと弟子の対話が中心になっている。その対話が難解というか、言葉遊びのような内容で全然頭に入ってこなくて困った。一があるとすれば、部分もなく、全体でもなく、始めも終わりもなく、形もなく、似ているし似ていない、動かないし止まってもいない…みたいな感じで、何のためにこんなことを延々読まなければいけないんだろうという感想しか出てこなかった。パルメニデス本人も「空理空論」と言っているけど。しかしいかにも神学に応用されそうな内容だから、ちゃんと分からなきゃいけないんだよな…。 「ピレポス」は快楽と心・知性のはたらきのどちらが善にふさわしいかの議論だが、どちらもそれ単体では善に値しないため、より善に近い方を吟味するという話に早々に移行する。快楽と知性という存在はどういう種類のはたらきをするものなのか、その存在条件、快楽と知性の分析と分類などの検討を経て、知性のほうがより善に近いという結論に達した。これも難しくて、2回読んでようやく議論についていけるという程度。例によって議論というよりソクラテスの一人舞台だけど、パルメニデスよりは話の筋も見えて面白かったかも。この調子でこれから後期著作読んでいけるか不安になってきたなあ。
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中期末「パルメニデス」は、プラトン自身のイデア論批判の対話篇として知られている。 〈イデア〉そのものの多重性や不可能性、不可知性、事物への不関与性などが挙げられている。そして、イデアとしても、1)善などの徳のイデアはあり、2)人間や火のイデアが微妙で、3)毛髪などのくだらないもの...
中期末「パルメニデス」は、プラトン自身のイデア論批判の対話篇として知られている。 〈イデア〉そのものの多重性や不可能性、不可知性、事物への不関与性などが挙げられている。そして、イデアとしても、1)善などの徳のイデアはあり、2)人間や火のイデアが微妙で、3)毛髪などのくだらないもののイデアは存在しない、とソクラテスは言う。 こうした問題提起ののちに、その反駁の具体的なパフォーマンスとして、「予備練習」と称して「言葉の上ではどうとでも言える」という論理学がパルメニデスによって延々と披露される。 イデア論の核心はどこにあるのか? 多様な意味としてそれぞれに生じうる現象にたいして、どう考えれば、多くのひとにとって共有できるものとなるか、という問題設定のために要請されてきている。現象界に対して、本質的な叡知界を設定することで、本質はちゃんとあるし、虚無に陥らなくていいのだ、ということにある。 イデア論が陥った失敗は、〈イデア〉を起源としてあるいは実体的に想定することに由来する。 むしろ、或る概念や価値が、なるほどと思えるような、そして「妥当だ」と肯けるような条件は何か、と1つ1つ確認しながらあぶり出そうとすることに、イデア論の意味がある。 事後的と言っても、まったく無から生成されるのではなくて、たとえばハイデガーが言うような「前‐了解」という段階がある。 言葉によってはっきり把握していないけれども、頭の中でぼんやりと思っていることが存在している、こういう状態が前提となっている。 だから、ソクラテスはじぶんの問答法の技術を、産婆術だと称した。 あいてがもっている概念を、じょうずに質問していくことで、生みだす技術だっていう。
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高田馬場の古本屋にて1500円で購入。読了日は判らないので適当に。プラトンの著作中類を見ない二部構成にして、八面六臂の活躍を見せていたあのソクラテスがほぼ脇役に徹するという意味でも異例の『パルメニデス』は、イデア論の一大転換期を成す最重要作品。パルメニデス、ゼノン、ソクラテスらに...
高田馬場の古本屋にて1500円で購入。読了日は判らないので適当に。プラトンの著作中類を見ない二部構成にして、八面六臂の活躍を見せていたあのソクラテスがほぼ脇役に徹するという意味でも異例の『パルメニデス』は、イデア論の一大転換期を成す最重要作品。パルメニデス、ゼノン、ソクラテスらによる夢の共演は山風に通じ(むろん言い過ぎだが)、否定神学への道を拓いた言語ゲームの妙もある。故・藤沢令夫氏をして「ルール違反」とまで言わしめたパルメニデスの手練手管に酔いしれよ!
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