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民主主義の本質 の商品レビュー

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2018/02/03
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課題図書として借りた一冊。ちゃんと買って、本棚に加えたい。 民主主義とは本来どうあるべきか。今我々の認識している民主主義は本当に民主主義と言えるのか。そんなことを考えさせられるような本だった。民主主義に必要なのは同意ではなく、討論だ。人々が集い、討論を重ね、みんなが納得できる終着点(は果たしてあるのだろうか?)を探す。生産的な討論がなければ、なにも成長しない。けれどその生産的な討論にも一人一人の「集いの意識」というのが必要であるとリンゼイは説く。確かにそうだ。共通の目標があってこそ、その集団はよりよい結果を求めようと励むし、そうでなければただ嫌々出席している無能な集団になる。そしてそう考えているうちにそれって今の日本の現状では?と考えさせられる。政治でなくとも、会社でも部活でも、民主主義的な集団において最大の敵は”無関心”なのだ。無関心は民主主義的な集団を崩壊させることもできる。独裁を生むことができる。政治には無関心だが、とりあえず投票には行く。多くの人にその”とりあえず”があるのではないだろうか。国単位にまで巨大化してしまった民主主義は討論の代わりに投票を設けた。しかし、そこにはもう「集いの意識」はない。小さな社会にこそ、民主主義の本質は現れる。そのリンゼイの主張は現代において実現可能なのだろうか。

Posted byブクログ

2009/10/04

著者のアレキサンダー・ダンロップ・リンゼイ(1879〜1952)は、20世紀イギリスにおいて アーネスト・バーカーと並ぶ代表的な政治哲学者と言われる。グラスゴー大学とオッ クスフォード大学のベイリオル・カレッジで古典学(グレイツ)を学び、後年同カ レッジの学長そしてオックス...

著者のアレキサンダー・ダンロップ・リンゼイ(1879〜1952)は、20世紀イギリスにおいて アーネスト・バーカーと並ぶ代表的な政治哲学者と言われる。グラスゴー大学とオッ クスフォード大学のベイリオル・カレッジで古典学(グレイツ)を学び、後年同カ レッジの学長そしてオックスフォード大学の副総長(名誉職でない実質上の総長)を 務めた。リンゼイによると、デモクラシーにとって不可欠なものは「同意」ではなく「討 論」である。同意は、討論すなわち共同思考の結果生まれることはあっても、その前 提条件ではない。同意を重視することはリンゼイの眼から見ると、ホッブズからナチ スにつながる道である。リンゼイは、現代デモクラシーにおいて、17世紀分離派において典型的に見ることのできた、教会や大学を中心 とした小集団のデモクラシーの経験を根本的に重要なものと捉えているのである 。  このような「集いの精神」は、社会的に広がる時にラディカルな寛容の精神とも結 びつくだろう。神の御心は確かに存在するのであるが、誰がそれを把握しているのか 我々にはわからない。それ故に他者を必要とするのである。真理は終末において明ら かにされるのであり、我々の活動するこの中間時において完全に捉えることはできな い。コリント信徒への第一の手紙13章は「愛の章」と言われるが、真理への愛の終末 論的性格が描き出されている。 「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔 と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのとき には、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」 (コリント信徒への第一の手紙13章12節)

Posted byブクログ