「般若心経」を読む の商品レビュー
少年時代に禅寺で修行したという著者。その目から見た、般若心経の解題である。宗教エッセイといった趣も。「まぁーか」…と師匠から口伝で習った般若心経の響きが印象的。
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・6/10 初めてこの人の本を読む.それは最近の般若心経マイブームのせいだ.ただ、今回は心経を暗記してから、あるいはいくつかの本を読んである程度般若心経の意味を理解していたから、読んでいてスムーズに理解でき、作者の意図や意味、気持ちがなんとなく分かるようで、すらすら読むことができ...
・6/10 初めてこの人の本を読む.それは最近の般若心経マイブームのせいだ.ただ、今回は心経を暗記してから、あるいはいくつかの本を読んである程度般若心経の意味を理解していたから、読んでいてスムーズに理解でき、作者の意図や意味、気持ちがなんとなく分かるようで、すらすら読むことができると思う. ・6/13 読了.やっぱり早かった.なるほど、この人ならではの心経感だ.まさに気持ちは分かるな.
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素直と言おうか、変に分かったふりしないで、正直に自分の感想を述べているところに好感がもてる。ただ、入門書のつもりで読んだのだが、難しかった。再度、別の本で入門し直さなければならない。 「こう思うのも、私に仏眼がひらいていないからか。」 「私には、この世のものは無常であるがゆえ...
素直と言おうか、変に分かったふりしないで、正直に自分の感想を述べているところに好感がもてる。ただ、入門書のつもりで読んだのだが、難しかった。再度、別の本で入門し直さなければならない。 「こう思うのも、私に仏眼がひらいていないからか。」 「私には、この世のものは無常であるがゆえに、増えたり減ったりしているふうにも見える。」 「般若心経の哲学は、はなはだ深遠に思える。と同時に、厄介なことに矛盾の自己同一を要求している気がする」 「それはことばの上ではわかっても、私には、何やかや見えるもの、きくものがたえまなくあるのだ」 「妻がいるにかかわらず、町で出会う美人に心がときめいたりするのである。」 「私は、いかに女性が醜女でも、意地がわるくても、ぼうーっとしてしまって、弥勒菩薩を拝むような気分になるのである。」 (醜女T女と淋病の話 p84〜87) 「はじめがないといわれても、私をうんだ父母は厳然として存在したのである」 「世の中は、垢と不浄だらけではないのか」 「私たちは凡夫であるがゆえに、不浄を美しいと思うときがある。私は、嘗て、私の先の妻が、入院して、お産をなしたとき、戦時下の苦しいときでもあったので、看護婦のいない病室で、妻の恥部を洗ったことをおぼえている。また、早死にした嬰児が黄疸症状の、ひからびた尻から、青いウンチをたらすのを、何べんもふきとったことをおぼえている。」 「私はむしろ、凡庸を愛する。そうして、凡庸なるがゆえに、すれちがう女を美しいと思えば、欲情も起きる」 「心経はここへくると、いかに観念的であるかがわかってくる。凡夫の情緒にほど遠いかが分かってくる」 「その凡庸を愛するのである。六塵まみれの私をいとおしみたいのである。菩薩よゆるせ。私は地獄におちても、このコスモスの花をうつくしいと思う。これがあるかぎり現世に生きていたいと願う」 「私の娘は二分脊椎という生涯を背負うて生誕した。(p153〜156)」 「私にとって、般若心経は、この『乃至無老死尽、無苦集滅道』にいたってまことに冷たいお経だなという気がしてくる。さよう、色身の心底からいえば、心経の何と冷静なことよ、クールであることよ」 「何も、自分だけ悟境に入って、悠然と、ありのままをありのままにみてくらす境界になどいないで、妻子とともにいっしょに苦しみをともに生きもがいた方がよいような気もする」 「妻子とともに、のたうちまわって生きるしかないのではないか」
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人間はなぜ瑣事に悩み、色に惑うのか。悩み惑い続けながら、なぜ「生」に執着し「色」に執着するのか。自ら煩悩の熱い炎に焼かれ身悶えしながら、なお人間の真実に迫ろうとする水上勉が、一筋の光明を求め、「心経」を一休和尚に問い、正眼国師に質す。その苦悩の果ての悟りとは―。一千数百年にわたっ...
人間はなぜ瑣事に悩み、色に惑うのか。悩み惑い続けながら、なぜ「生」に執着し「色」に執着するのか。自ら煩悩の熱い炎に焼かれ身悶えしながら、なお人間の真実に迫ろうとする水上勉が、一筋の光明を求め、「心経」を一休和尚に問い、正眼国師に質す。その苦悩の果ての悟りとは―。一千数百年にわたって読みつがれ、唱え続けられて来た日本人の心の原点「般若心経」が最高の語り手を得て現代に甦る。
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