見世物雑志 の商品レビュー
【概略】 江戸後期の名古屋の人物、小寺玉晁(こでらぎょくちょう)、彼の芸事(総じて「見世物」としていた)鑑賞者としての飽くなき探求心は、その大量な鑑賞記録によって後世に伝えられている。彼の記録魔ぶりは、江戸時代の(本来の意味である)風俗・芸事の流行への研究に大いに資することとな...
【概略】 江戸後期の名古屋の人物、小寺玉晁(こでらぎょくちょう)、彼の芸事(総じて「見世物」としていた)鑑賞者としての飽くなき探求心は、その大量な鑑賞記録によって後世に伝えられている。彼の記録魔ぶりは、江戸時代の(本来の意味である)風俗・芸事の流行への研究に大いに資することとなった。この「見世物雑志」も、その一つである。 2022年06月10日 読了 【書評】 10月のイベントに向けてやはり勉強のために手に取ってみた。現代におけるブログのような存在かな?たとえばこのブクログだって、一冊の書評だけだと(その書評の内容にもよるけれど)一目置かれない。でも、100冊になったら?1000冊になったら?映画評論でも、食レポでも、積み上げていった量に対するリスペクトもまた比例する。当時は(当たり前だけど)手書きだからなおのこと。 その分野の研究者ではないから、淡々と続く見世物記録を「ふーん・・・なるほど」という感覚で読み進んでいったよ。「見世物」というと、最近ではアヤシイ・いかがわしい臭いを連想してしまう。でも小寺玉晁は、落語や大道芸、お芝居といったものの総称としてこの「見世物」を使っていた。広義の見世物、だね。 興味深かったのが、まず「角力」、今でいうお相撲だね。木村庄之助(本書では正之助だった記憶)さんの名前、行司の欄にあった!落語については林家正蔵師匠の名前!残念ながら柳家とか三遊亭といった亭号とは出会わなかったね。あとびっくりなのが、住んでいる知多半島のガイドで時々話題に出る船頭・小栗重吉が登場したこと。遭難して長期間にわたり漂流した人なのだけど、その人と小寺玉晁が出会ってるのだよねぇ。感慨深い。点と点がつながって線になっていく感覚。知識がある人ほど、楽しめる記録なのかもしれない(笑) さてさて、ではイベントを盛り上げよう!って立場からものを見ると・・・悩む。・・・というのは、当時「おぉ!珍しい!」と言われていたもの、とりわけ動物の類は、現代においては「ふーん」な状態なのだよね。ラクダとかダチョウとか。あと、少し眉唾な、まさしく「見世物」感が強いもの・・・たとえば人魚のミイラとか、河童のミイラとか・・・こういったものは、イベントとして採用しにくい。ってか、持ってないし。 そう考えると、インターネットというものはイベントの形態を、考え方を変えたよなぁと、つくづく思う。神レベルのパフォーマンスができる人(歌手なども含めて)はともかくとして、一億総表現者の時代に突入していて。そうなると「ただ観るだけ」というイベントは、見つけてもらうのが大変、来てもらうのが大変、感動してもらうのが大変、な状態。さらには参加者がいかに能動的に「参加」できるかという要素が、本当に強くなったと思う。 このテの本を読めば読むほど、イベントを盛り上げる難しさを痛感してしまう。もっともっと、考えねば。
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