ふるさとは、夏 の商品レビュー
夏休みを父親のふるさとでひとり過ごすことになったみち夫は村に馴染めずにいた。バンモチという伝統行事が行なわれた夜、みち夫と村の少女ヒスイの前に白羽の矢が突き刺さる。神社ごもりの介添えに指名されたみち夫は、白羽の矢を巡り村の神さまたちと出会うのだった。 はじめ村社会に馴染めないみち...
夏休みを父親のふるさとでひとり過ごすことになったみち夫は村に馴染めずにいた。バンモチという伝統行事が行なわれた夜、みち夫と村の少女ヒスイの前に白羽の矢が突き刺さる。神社ごもりの介添えに指名されたみち夫は、白羽の矢を巡り村の神さまたちと出会うのだった。 はじめ村社会に馴染めないみち夫の気持ちに同調し息苦しくなりました。村に馴染めないのはみち夫が馴染もうとしないからである。それはそうなのですが、東京からひとり否応なく知らない村に放り込まれ、さあ馴染めというのも酷なものです。 そのみち夫の孤独さのようなものを表わすのに、方言がとても効果的に用いられています。みち夫が意味が分からず問うたものはその意味が答えられるのですが、ほとんどのものが注釈などなしにがんがんと浴びせかけられます。読み進めていくと物語の中でみち夫がそうであるように、ニュアンスがわかるようになるのですが、それまでは自分が異分子であることを感じる、そんな役割があります。 そんなみち夫の孤独感と寂寥感を癒す…というか逸らしてくれるのが村の神さまたちなのです。いわゆる土着の神さま。村の歴史に則したものから生まれるその土地の信仰。そんな神さまがごく当たり前のようにみち夫の前に姿を現し語りかける。そのごく当たり前のようなことが他者を受け容れることと知るみち夫は、自分の見てきた世界と違う世界があることを知ります。そのみち夫の心境は読み手にも繋がり、いつの間にか方言が気にならずに読めることになっていることにも気付かされます。 それは何も異界との境界の問題だけではないのでしょう。生きていく中で出会う自分とは違うもの。それを自分の中にどう受け容れるのか。構える必要はない。ただ挨拶をするように自然に受け容れる。それは簡単でありながら、難しいことでしょう。そのことが村の娘ヒスイとの出会いや、白羽の矢をうったのは何者かという謎と絡み合い、ひと夏の不思議な経験という形で示されています。それが物語の面白さであり、物語がもつ力なのでしょう。
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