方法としての境界 の商品レビュー
歴史を探るにはいろいろな角度から見ることができる。 「境界」にフォーカスした珍しい本。 1991年に発行された古本だが、興味深い。 お伊勢参りといえば、江戸時代後期の「ええじゃないか」と、熱狂したと言われるおかげ参りが浮かんでくる。 しかし...
歴史を探るにはいろいろな角度から見ることができる。 「境界」にフォーカスした珍しい本。 1991年に発行された古本だが、興味深い。 お伊勢参りといえば、江戸時代後期の「ええじゃないか」と、熱狂したと言われるおかげ参りが浮かんでくる。 しかし、明治時代にもあったと聞いて驚いた。 1890(明治23)年の春に、伊勢神宮一帯は、例年にないにぎわいを見せた。 その理由は、文政13年におかげ参りから60年後のこの年は、伊勢への大規模な巡礼運動が起こるべき年と考えられていたそうだ。 しかもその兆しは、前年末から起こっていた。 参拝はいつまで続いたのか。少なくとも4月頃まで続いたそうだ。 では明治時代のおかげ参りも江戸時代と変わらないものだったのかと言うと、そうでもなかった。 おかげ参りに所持金をほとんど持たない人びとが、大した施しを受けることができず、やっとの思いで、戻ったということを「東京朝日新聞」が記事にしていた。 江戸時代は民衆の自然発生的な運動だったのに対して、明治時代は、報道や準備の体制が整えられていた。 特に、伊勢神宮も神職による教化機関であった神宮教の動きがあった。 「伊勢と近代天皇制との結びつき」が大いに関わっていると吉見俊哉が指摘している。 明治時代のおかげ参りでも、江戸時代同様、参拝しに行く人々の群れに紛れ込んで、おこぼれを与ろうとする連中がいたが、うまくはいかなかったようだ。 物乞いの存在は地元の「伊勢新聞」によると、招かれざる客と化していたようだ。 「実に此の積弊は神州を傷くるの恐れあり、最も戒めざるべからず」 天皇制と結びついた伊勢参拝に、物乞いはけしからんということだな。 この他に、平城京や平安京、「とりかへばや物語」、旅上の人/荻原朔太郎などを取り上げている。 2023年の境界はどうなっているのかなとふと思った。 続編の出版をどこかの出版社で出してもらえないかなと思う今日このごろだ。
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