浄土三部経(下) の商品レビュー
浄土真宗を学ぶ立場から、客観的に浄土三部経を読んでみることは必要である。 梵文和訳と漢文書き下し文の両方があり、翻訳されていく歴史の過程も見ることができる。 この本の素晴らしいところはなんと言っても、註と文献紹介。註は単なる語彙の説明のとどまらず、いろいろな学術的な争点、今回この...
浄土真宗を学ぶ立場から、客観的に浄土三部経を読んでみることは必要である。 梵文和訳と漢文書き下し文の両方があり、翻訳されていく歴史の過程も見ることができる。 この本の素晴らしいところはなんと言っても、註と文献紹介。註は単なる語彙の説明のとどまらず、いろいろな学術的な争点、今回この訳に至った経緯などをつぶさに紹介してくれる。読むだけで勉強になる。 法話を聞いたときになんとなくGoogleで調べてわかった気になっていたが、全体にきちんと目を通すと言うことで、経典の全体像が見えてくる。 書き下し文を読んだからわかったというものではない。この訳に至った経緯を現代からたどるもよし、パーリ語から挑戦するもよし。アプローチの方法はいろいろある。自分は、これからも仏教書を読み込んで、都度参照していく方法をとろうと思う。
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観無量寿経と阿弥陀経がはいっている。観無量寿経は仏の想像のしかたを教えており。「南無阿弥陀仏」はこの教典にある。18段階の観があるが、下下品の者は死に臨んで気持ちが顛倒して、仏を想うことなどできないので、アミターユス仏(無量寿仏)の名だけを唱えなさいというのが「南無阿弥陀仏」であ...
観無量寿経と阿弥陀経がはいっている。観無量寿経は仏の想像のしかたを教えており。「南無阿弥陀仏」はこの教典にある。18段階の観があるが、下下品の者は死に臨んで気持ちが顛倒して、仏を想うことなどできないので、アミターユス仏(無量寿仏)の名だけを唱えなさいというのが「南無阿弥陀仏」である。「阿弥陀経」は「無量寿経」を短くしたもののようである。
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浄土三部経と呼ばれる浄土教の三つの聖典のなかの二つ、観無量寿経と阿弥陀経の訳本です。観無量寿経は漢訳本からの翻訳(書き下し文と現代語訳)及び漢語の原文、阿弥陀経はサンスクリット原典からの現代語訳、漢訳本の書き下し文と原文が書かれています。上巻と同じくとても平明で読みやすいです。...
浄土三部経と呼ばれる浄土教の三つの聖典のなかの二つ、観無量寿経と阿弥陀経の訳本です。観無量寿経は漢訳本からの翻訳(書き下し文と現代語訳)及び漢語の原文、阿弥陀経はサンスクリット原典からの現代語訳、漢訳本の書き下し文と原文が書かれています。上巻と同じくとても平明で読みやすいです。 無量寿経が浄土や阿弥陀如来の因縁を説いた基礎知識編であったのに対して、観無量寿経は主に、浄土へ生まれ変わる方法を説いた実践編です。「観無量寿」というのは、無量寿を観想(瞑想し心で観る)するという意味です。観無量寿経も無量寿経と同じく、豪華な浄土を匂やかに描きながら、瞑想の方法を説いています。 阿弥陀経は短い経典で、無量寿経の内容を短く簡潔に述べたものという印象です。 浄土三部経全体に関して、戒律や規則といったものは少なく、やはり日本仏教との違いを感じました。これを基に、法然上人や親鸞聖人、一遍上人などの著書を比較してみれば、より日本仏教の独自性を理解できるのではないかと思います。
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王舎城の悲劇と呼ばれる観経と極楽の様相をといた阿弥陀経の二経典を収録した書。 これらの経典は共に浄土について述べ、そこへの行き方が説かれる。
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法然上人以降の浄土教系の所依経典である「浄土三部経」と、梵文訳が載っていて、それだけを比較してみても面白いと思いますし、さらに異訳を読んでみても面白いと思います。
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一応うちは浄土真宗なので、法事の時にはお坊さんのあげるお経を聞くことになります。意味がわからないと眠くなるので、睡魔対策に購入したんだけど、「観無量寿経」のオープニングはなんと古代インドの「家庭内暴力ドラマ」でした。家庭内暴力、と言っても登場人物が王家の人達だからスケールが違う。...
一応うちは浄土真宗なので、法事の時にはお坊さんのあげるお経を聞くことになります。意味がわからないと眠くなるので、睡魔対策に購入したんだけど、「観無量寿経」のオープニングはなんと古代インドの「家庭内暴力ドラマ」でした。家庭内暴力、と言っても登場人物が王家の人達だからスケールが違う。まあそういう意味ではちょっと面白かったです。
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