至誠、天を動かす の商品レビュー
李光洙が、師であり民族主義運動の同志でもあった安昌浩先生について書いた評伝。李光洙は安昌浩が始めた興士団の一員として民族啓蒙運動を行い、亡命政府であった上海臨時政府樹立にも安昌浩とともに参画した。しかし、その後李光洙は民族解放運動戦線から離脱し、自治論を唱えるようになる(当面朝鮮...
李光洙が、師であり民族主義運動の同志でもあった安昌浩先生について書いた評伝。李光洙は安昌浩が始めた興士団の一員として民族啓蒙運動を行い、亡命政府であった上海臨時政府樹立にも安昌浩とともに参画した。しかし、その後李光洙は民族解放運動戦線から離脱し、自治論を唱えるようになる(当面朝鮮独立は現実的には不可能であると見て、日帝支配下で実力を蓄えながら自治制を確保しようという改良主義・妥協主義的運動路線。その究極目標は朝鮮の独立であったが、親日傾向となる契機ともなる。社会主義勢力の成長と物産奨励運動の沈滞に対する憂慮のなかで始まったとされる)。一方安昌浩は、独立急進論者については「緊急を論じながらも何の方策も講じずに無鉄砲に旗揚げして何回も失敗を繰り返している」と評価して与せず、また日本を含めた外勢に頼ることにも批判的で、地道に学校や人格修養団体(まずは身の回りの整理整頓から始めたりして、結構気が長い感じ)、株式会社や出版事業を設立・運営するなどして、今でも韓国人から先生と呼ばれて敬愛されている。この本を読むと、李光洙が安昌浩の思想から「朝鮮民族は列強と争い、即時に独立をする実力がついていないので、ひとまず徳、知、技術などを蓄えなくてはならない」という点を特に学び取り、3.1独立運動をはじめとする種種の運動の挫折を経験した末、次第に自治論→親日という方向に流れていったのだということが分かる。ただし、後に安昌浩ら民族主義者は社会進化論的な考えを克服していったのだけれど。
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