現代言語論 の商品レビュー
入門書ではない。 それなりに言語哲学についての知識が無いと読めない。俺は無かったからチンプンカンプンだった。返却期限が来たので途中まで。 巻末の「現代言語論のためのブック・ガイド」から気になった本を抜粋 ・ジュリア・クリステヴァ 『ことば、この未知なるもの―――記号論への招待...
入門書ではない。 それなりに言語哲学についての知識が無いと読めない。俺は無かったからチンプンカンプンだった。返却期限が来たので途中まで。 巻末の「現代言語論のためのブック・ガイド」から気になった本を抜粋 ・ジュリア・クリステヴァ 『ことば、この未知なるもの―――記号論への招待』(1969)、谷口勇・枝川昌雄訳、国文社、1983年 「一冊あげろと言われれば、この本である。古今東西の言語論の全貌をこれだけ概観できる本はほかにない。しかも、たんに網羅的ではなく、クリステヴァ独自の視点からまとめられているのがよい。」 ・フェルディナン・ド・ソシュール 『一般言語学講義』(1916)、小林英夫訳、岩波書店、1972年 「いろいろと問題はあっても、日本語でソシュールの思想を知るにはまずこの書物を熟読するしかない。一流の言語学者である訳者による註も便利である。」 ・丸山圭三郎編 『ソシュール小事典』大修館書店、1985年 「ソシュールにかんするあらゆる情報がコンパクトにまとめられており、必携の書である。」 ・丸山圭三郎 『ソシュールを読む』岩波書店、1983年 「丸山には 『ソシュールの思想』(岩波書店、1981年)もあるが、ソシュールの三回の講義を順番にたどっていくこの本のほうを勧める。丸山の講義をもとにしているので読みやすい。」 ・ルイ・イェルムスレウ 『言語学入門』(1941)、下宮忠雄・家村睦夫訳、紀伊國屋書店、1968年 「イェルムスレウを一冊読むならこの本。難解で知られるイェルムスレウが「百万人の言語学」のために書いたコンパクトな入門書だ。言語学の隠れた名著。」 冒頭で本書の立場を明確にしている。 「この本は、27の独立して読める項目をつうじて、現代の、とりわけ20世紀の言語論の大きな流れ、基本的な考え方、刺激的な発想を概観することを目的として書かれた。重要なキー・ワードをつうじて現代の知の一局面にせまるという「ワードマップ」シリーズの一冊として、この本もこのアブローチのしかたを積極的に採用している。」 「したがって、この本は、いわゆる「客観的」な概説書ではいささかもなく、われわれ自身の〈視点〉、われわれ独自の〈読み〉が前面に押しだされているということを知ってもらわなければならない。また、著者たちの関心と限界によって、ヨーロッパ、とくにフランスを中心とした言語論がおもに取りあげられているということも指摘しておかなければならない。そのように限定したうえでも、この本は網羅的であろうとはしていない。たとえば、ヤーコブソン、チョムスキー、メルロ=ポンティ、リクールといった重要な言語論者、現象学や論理実証主義といった、現代言語論を語るにあたって無視できない重要なキー・ワードが取りあげられていないということがある。しかし、われわれは中途半端な網羅性よりは、一貫した視点の提出、うえに述べたようなわれわれの方法の徹底のほうを選んだ。その成果は、読者によって判断してもらうほかはない。」
Posted by
現代の言語論をテーマにしたキーワード集という体裁の本ですが、サブタイトルに「ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン」とあるように、さまざまな思想家の独創的な言語論をコンパクトに解説しています。またその解説も、著者、とくに立川の提唱する「誘惑論」という思想的立場がかなり強く押し...
現代の言語論をテーマにしたキーワード集という体裁の本ですが、サブタイトルに「ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン」とあるように、さまざまな思想家の独創的な言語論をコンパクトに解説しています。またその解説も、著者、とくに立川の提唱する「誘惑論」という思想的立場がかなり強く押し出されており、中立的とは言い難い面がありますが、そのぶん一つの観点からソシュール以降の言語哲学のシーンを鮮明に切り取った特色ある入門書となっています。 立川は、従来のソシュール研究では、語る主体の意識という視点から共時態と通時態の区別がおこなわれていることが見落とされてきたと指摘します。すなわち、共時態と通時態はあくまでも理論によって構築された認識対象であり、実体として与えられている現実的な対象ではないとされます。その上で、共時態とは主体の意識に与えられている構造であるのに対し、通時態は主体の共時意識を逃れ去るような絶えず運動しつつある「力」の場であると主張されます。こうして立川は、ソシュールを「力の思想家」として解釈する道を開きます。 さらに立川は、デリダやクリステヴァといった思想家たちが現前する意味の地平を脱構築した努力を一面では認めつつも、他者の言葉を「聴く」立場に立っていると指摘し、それゆえあらかじめ共通の意味を定めたコードの存在をひとまずは認めた上で、それを解体することに取りかかっていると論じます。これに対して立川は、自分のもとには意味の決定権がない、それゆえ他者を「誘惑する」ことで、他者によって意味の成立を告げ知らされることに賭ける立場を提唱しています。 個人的に勉強になったのは、バンヴェニストの項でした。また、デリダ=サール論争におけるデリダのオースティン解釈がバンヴェニストによるそれに依拠しているという指摘も重要だと思います。
Posted by
広い現代言語学をおおまかに網羅した本。なので言語学の入門になりえるが、ラングやパロール、コンテクストといった入門中の入門用語は特に解説されていないので注意が必要。 これだけあれば、どれかの言説には興味が持て、深く入るきっかけになるだろう。 私はヴァレリーの論が面白いと思った。 お...
広い現代言語学をおおまかに網羅した本。なので言語学の入門になりえるが、ラングやパロール、コンテクストといった入門中の入門用語は特に解説されていないので注意が必要。 これだけあれば、どれかの言説には興味が持て、深く入るきっかけになるだろう。 私はヴァレリーの論が面白いと思った。 おおまかになのでそれぞれに論に深く突っ込んではいないが、立川健二と山田広昭がそれぞれの持論を積極的に展開したりと、単なる入門的概説書には終わっていない。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
システム・構造としての言語、記号論的視点 無意識としての言語、精神分析的視点 行為・コミュニケーションとしての言語、言語使用論的視点 それぞれ、ソシュール、フロイト、ヴィトゲンシュタインを出発点とするとのこと。 関連する理論家に、 ヴィトゲンシュタインの師匠として、フレーゲ、ラッセル ソシュールと同世代に、フッサール、サルトル。 ソシュールの後継に、ヤーコブソン、チョムスキー、デリダ など現代言語学の構造をつかみ取ることができる。 最後にブックガイドがあるので、さらに勉強することもできる。
Posted by
ヴァレリー以降のページは退屈だった。フロイト、ラカン、ウィトゲンシュタインについてはもっと掘り下げた内容を書いて欲しかった。チョムスキーについての記述がないのが残念。 クリステヴァはとてもいい感じ。言葉と意味の対応関係を考えるのに精神分析の視点も含まれていて、私の知識や感覚と一致...
ヴァレリー以降のページは退屈だった。フロイト、ラカン、ウィトゲンシュタインについてはもっと掘り下げた内容を書いて欲しかった。チョムスキーについての記述がないのが残念。 クリステヴァはとてもいい感じ。言葉と意味の対応関係を考えるのに精神分析の視点も含まれていて、私の知識や感覚と一致するものがある。クリステヴァの「セミオティックとサンボリック」が、浅田彰の言うように「禁止と侵犯」や「日常と祝祭」の交替をも意味するものではないとされるのがよくわからん。同じ「カオスと象徴秩序」を意味するものではないのか。 「サンボリックがジャック・ラカンのいう鏡像段階と去勢の発見をへたエディプス・コンプレックス期以後、すなわち主体の安定した自己同一性と言語の獲得の時期に対応するとすれば、セミオティックのほうはそれ以前の段階、すなわちメラニー・クラインのいう前エディプス期に相当するということができる。この段階において、幼児と母親は融合的な双数状態を形づくっており、母親は幼児にとっていまだ対象(objet)ではなく、それ以前のアブジェ(abjet)なのだ。両者はいまだにふたつの自己同一的主体として、あるいは主体/対象として分離・対峙することのない、見分けのつかない「分身」である。そして、幼児の言葉はいうまでもなく、母親が幼児に語りかける言葉でさえ、社会で流通している言語とはほど遠い、いわばアルカイックな「前言語」なのである。このことは、音声のレベルでも、語彙のレベルでも容易に観察されることだろう。」
Posted by
- 1