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「うさぎ穴」からの発信 の商品レビュー

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2013/11/28

・叫びは誰かの胸にとどいたことが確かめられたとき、作品に変わる転機をもつ。誰の胸にもとどかないとき、叫びは叫び続けられるより仕方ないのだ。 ・「クローン人間。そう。だれもかれもが、トレーラーではないふつうの家に住んで、両親がそろっていて、母親はPTAのバザーのためにケーキを焼き...

・叫びは誰かの胸にとどいたことが確かめられたとき、作品に変わる転機をもつ。誰の胸にもとどかないとき、叫びは叫び続けられるより仕方ないのだ。 ・「クローン人間。そう。だれもかれもが、トレーラーではないふつうの家に住んで、両親がそろっていて、母親はPTAのバザーのためにケーキを焼き、電話で何時間もしゃべりあい、世界が始まったときいらいの友だちどおし。クローン人間はけっしてひとりぼっちにならないのだ。」 個人主義が発達しているアメリカにおいて、クローン人間が大量発生していることは注目に値する。 ・実際、われわれ臨床家としては、八歳の少年に内界深くにこのような恋愛感情が存在していたとしても、別に不思議に感じないであろうし、八十歳の老人の内界に、ひたすら母を求める子どもの甘えが存在していたとしても驚くことはないであろう。もちろん、それはストレートには体験し難いし、また、本人が言語によって表現することも不可能であろう。年齢を超え、時代を超えて、男性の心のなかに存在する、この甘く物悲しい愛惜感。これを八歳の少年のこととして語るなら、八歳の猫として語るのが、もっとも適切ではなかろうか。それは猫である以外には在り様がないのである。 ・最後に問題としたいのは、ファンタジーの「作品」を作ること、つまり、ファンタジーエン国のものをこの世にもたらすことの難しさ、ということである。エンデは、ファンタジーエン国で虚無に化したものは、人間界において虚偽として存在することになるという。これは実に名言だ。 ・私は、賢治がそのような合理的な現実把握ができたという点が、ファンタジーの作品をあんなに素晴らしく作ることができた要素の一つと言っていいと思っています。だいたい日本人はファンタジー的な作品がへたですが、それは、合理的思考が弱いから、合理の世界と非合理の世界が変に融合してしまって、カチッとファンタジーとして結実させる力がないんです。 ・『ぼんぼん』の作者はヨハネスはおろかトリックスターのことなど考えずに、父を失った少年たちの導者として最もふさわしい人物像を、心の中から生み出してきたに違いない。しかし、そのようなあくまで個別的な特性をもったものこそ、常に深い次元において普遍性につながるのであろう。 ・子どもたちがファンタジーを好むのは、それが彼らの心にぴったりくるからなのだ。… 六歳のあたりで子どもたちは、それなりの自我をつくりあげるものであるが、心の中で生成されてくるその過程は、天にまで至る植物のイメージとぴったりなのであろう。従って、多くの園児が「ジャックと豆の木」の話のなかで、どんどん伸びてゆく木のイメージに感激するのだ。しかし、だからと言って、彼らは世の中にそのような豆の木など存在しないということは、よく知っているのである。幼稚園の木がどうして天まで伸びないのかとか、自分の家で実際にそのような豆の木を植えてみようとは思わないのである。

Posted byブクログ

2009/10/04

児童文学は子供のための文学ではなく、大人の忘れがちな「たましいの現実」を思い起こさせるもの。 カニグズバーグ、エンデ、アリスン・アトリー、グリム、宮沢賢治、今江祥智、上野瞭、長新太…ファンタジーの重要性について語る。

Posted byブクログ