坊っちゃん の商品レビュー
友達に夏目漱石を読んでると話したら、是非坊ちゃんを読むべき!とのことで読み始めたよ。 いや〜面白い。 坊ちゃんのストレートなとこが良いね。 坊ちゃんになったような気がする。
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なんで今更「坊っちゃん」であるか? 私は通勤の際、iPod でPODCASTを聞いている。 その番組の中に「ラジオ版 学問のすすめ」ってのがあって、先日のゲストは作家・評論家の関川夏央であった。 正岡子規の話が中心だったけど、同時期を生きた作家の中に夏目漱石も居る。 明治時代、...
なんで今更「坊っちゃん」であるか? 私は通勤の際、iPod でPODCASTを聞いている。 その番組の中に「ラジオ版 学問のすすめ」ってのがあって、先日のゲストは作家・評論家の関川夏央であった。 正岡子規の話が中心だったけど、同時期を生きた作家の中に夏目漱石も居る。 明治時代、文学で生計をたてられる人なんてそう多くはないので、作家連中は自然と集まり交流があったんだそうだ。 今、壊滅的な状況にある政局の中で必要なのはリーダーであり、エリートが育たない時代だ。 現総理の次は誰がよいかなんて、誰がなっても大同小異であろう事は誰もがそう思ってるだろう。 しかし、正岡子規達が生きた時代、帝国大学(現東京大学)を卒業するような人間は日本を代表するリーダーでエリートである。 夏目漱石もその一人。 そんな作家が書く、「坊っちゃん」とは如何なものか。 ゲストの話の中で、 「坊っちゃんが四国の学校に赴任した期間は、どのくらいか解る?」 とか 「宿屋の女中に5円をやってるけど、今だとどのくらいの価値か解る?」 とかの話があった。 期間はたかだか、1ヶ月ちょっとである。 5円は1ヶ月の給料分である。 坊っちゃんは世間知らずの負け組なのだ。 そんな負け組の(勝ち組は赤シャツか)坊っちゃんを書く夏目漱石とはどのような人物であったのか。 まあ、そういう話。 私は、「坊っちゃん」なんて読んだ気になっているだけで、実は読んでいないかもしれない。 だから、上記のような問いには答えられないし、例え読んだとしても、その時代背景も解っていない子供の時分であれば文脈が理解が出来ていないだろうと思って、今頃、「坊っちゃん」なんて読んでみたわけである。 今、政局に「坊っちゃん」のような事が書ける赤シャツが必要だなと思った次第。 さて、この手の文学作品は既に著作権が切れていて、色んなメーカーから文庫が売られている。 さらに、インターネットであれば、全文無料で読むことができる。 私は、「青空文庫」で読んだ。 暇なお昼休みは、ここがイイかもね。 昼休みと言えども、そんな時間はあまりないんだけどさ。
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刊行をかなり前の作品です。著者の夏目漱石といえば、大文豪というイメージから難解な作品というイメージを持たれている方が多くいらしゃっると思いますが、この「坊っちゃん」に関していえば全くそんなことはなく、理不尽で粗暴な相手を懲らしめるというストーリーになってます。 ただ、なぜこのシ...
刊行をかなり前の作品です。著者の夏目漱石といえば、大文豪というイメージから難解な作品というイメージを持たれている方が多くいらしゃっると思いますが、この「坊っちゃん」に関していえば全くそんなことはなく、理不尽で粗暴な相手を懲らしめるというストーリーになってます。 ただ、なぜこのシーンにこのエピソードを挟んだか、どういう言葉を選択しているかを考察すると、深い味わいを感じる作品となっています。
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離れてみて初めて清からの慈しみを理解できて、東京に戻ったその足で清に会いに行く。二人での生活は短かったかもしれないけれど、坊ちゃんにも清にとっても愛しい時間であってほしいな。 ぼこぼん先生、響きが好きだ。
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▼トシを重ねて読み返すたびに、本筋の事件のオモシロさよりも「坊っちゃん」と、坊っちゃんの疑似母的な「清」とのラブストーリーに、ココロ打たれます。泣ける。涙が止まりません。そうか、これは「赤毛のアン」だったのか。アンの物語に見えて、アンを巣立たせるマリラとマシューの物語でもある。さ...
▼トシを重ねて読み返すたびに、本筋の事件のオモシロさよりも「坊っちゃん」と、坊っちゃんの疑似母的な「清」とのラブストーリーに、ココロ打たれます。泣ける。涙が止まりません。そうか、これは「赤毛のアン」だったのか。アンの物語に見えて、アンを巣立たせるマリラとマシューの物語でもある。さすが、漱石。 ▼「坊ちゃん」夏目漱石。1906年初出。どうでもいいですが「赤毛のアン」が1908年。岩波文庫。2019年8月に、何度目かの再読。短い。あっという間に読めます。 ▼大人になって読めば読むほど、哀しい話だなあ、と思ってしまいます。坊ちゃんの勤務先で起こった事件については、勧善懲悪は全く成されないまま。赤シャツ、狸、野だいこの思惑のままに終わってしまいます。生卵をぶつけて、ぶんなぐる、というテロリストな行為で束の間の溜飲を下げただけ。 ▼ある種、極めて深い、世間様一般への絶望感みたいなものを、諦めた前提でのストレス発散みたいな小説ですね。しかしこの小編と、豊穣だけどストーリーのカタルシスとしてはかなり弱い「我が輩は猫である」が、一貫して漱石のベストセラーであるというのが、一種、不可思議でなりません。 ▼でも。不可思議でも無いかな、とも思うのは、どちらの小説も、割と「世間は嫌なヤツらがはびこっている。腹が立つ!」という一貫性がある。そして、一方で素敵に浅い。気楽なところがある。深刻すぎない。 ▼「世間を、世俗を批判する我が身、私も世間の一部である」という視座とか、「そういう俗な世界をもっともっと圧縮して、我が身と家族、夫婦との図式をどう感じるか」みたいな「内省の深み」までは、潜って行きません。そこの「ぞっとするダークサイド」は見ないようにしているンですね。そういう意味では、読みやすい。後年の、「行人」とか「道草」とか「明暗」なんて、読みようによっては、「ホラーかっ!」て言いたくなるくらい、そのあたりが、深い。息詰まるオモシロさ。でも気楽には読めない…。 ▼しかし、「坊っちゃん」も、「猫」も、一方で言葉のリズムとか、文章の流れなんかは、上手いなあと改めて。そして、にやにやくすくすしていると、清の存在が、駆け抜ける終盤、そして最後の数行が涙腺を直撃…。 ▼これ、今風に言えば、「現役バリバリの東大文学部の教授が、文芸誌に発表した小説」なんです。すごいなあ。
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著者:夏目漱石(1867-1916、新宿区、小説家) 解説:平岡敏夫(1930-、丸亀市、国文学者)
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言わずと知れた夏目漱石の有名作。 処女作「吾輩は猫である」が好評を得て、一般的にはその次に発表した小説です。 無鉄砲で短気で喧嘩っ早く、両親から冷たくあしらわれて育った主人公は、唯一、下女の清にだけたいそう可愛がられ、清から「坊っちゃん」と呼ばれて育ったのですが、物理学校の卒業後...
言わずと知れた夏目漱石の有名作。 処女作「吾輩は猫である」が好評を得て、一般的にはその次に発表した小説です。 無鉄砲で短気で喧嘩っ早く、両親から冷たくあしらわれて育った主人公は、唯一、下女の清にだけたいそう可愛がられ、清から「坊っちゃん」と呼ばれて育ったのですが、物理学校の卒業後、四国の中学校で数学教師として赴任することになる。 赴任先の中学校で起きた騒動について、坊っちゃんが語り手として書かれたものになっています。 学校を舞台とした教師が主人公の物語です。 こういった舞台設定だと、通常生徒といざこざがあって、その後和解し、そして感動の展開なんかがありそうなものなのですが、本作はそういう話ではないです。 坊っちゃんは生徒にからかわれた結果、職員会議で感情のままに罵倒し、そのまま和解せずに終わります。 教師たちがメインの話になっているので、学園モノですがお涙頂戴とはいきません。 ただし、ラストは勧善懲悪となっていて(善も若干やられてますが)、誤読感はスッキリとすると思います。 あの学校のその後を考えると少し心配な気もしますが。 文章は口語表現で、非常に読みやすいです。 ストーリーが頭に入ってきやすく、小中学生でも普通に読める内容だと思います。 実際に小中学生が読む場合は、子供が読むに不適切と思われる箇所もあるので、実際に読むとなると注意が必要と思います。 坊っちゃんは青い鳥文庫などからも出ているので、子供向けにはそちらをおすすめします。 どちらで読んだにせよ文章の軽快さと、また、他の多くの人がレビューで書いている通り純粋な面白さは損なわれないと思います。 語り手がべらんめえな青年である故か、地の文がかなり特徴的です。 文学小説らしからぬほどリズミカルで、本を読むときは情景を浮かべながら読むことが多いのですが、本作は情景から頭に浮かび上がってくるような感じで、かなり読みやすいです。 わかりやすいのは、坊っちゃんの行動・言動が真っ直ぐで正直なためと、行動が逐一インパクトを与えるためかと思います。 文学小説としては異色ですが、これなら読めるという人も多々いると思います。 坊っちゃん以外のキャラクターも立っていて、読んでいて楽しかったです。 坊っちゃんは赴任早々に他の教師陣に「山嵐」、「赤シャツ」、「野だいこ」、「うらなり」、「狸」などとあだ名をつけるのですが、彼らにもそれぞれのポジションがあり、活躍の場があったことがまた本作を名作たらしめる要因だと思います。 今出版されたとしても普通に楽しんで読める良作だと思います。文学の入り口としてもおすすめです。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
小学生の時に、かなり大ざっぱな児童むけリライト版『坊っちゃん』を読んだことはあるが、オリジナルの通読は今回が初めて。読後の感想を一言で述べると「面白い。が、いいのか、これ?」。 あらすじ紹介には「正義感に燃える若い教師の奮闘の日々」と書いてある。『金八先生』みたいな熱血教師ものかと早合点しそうになるが、だまされてはいけない。『坊っちゃん』は語り口こそ軽妙だが、のちに『こころ』という作品で人間の孤独についてげんなりするほど粘着質に書いた、あの夏目漱石の作品である。ハートフルストーリーを求めて読むと肩すかしをくらう。 第一に、主人公の〈おれ〉は理想に燃えて教師になったのではなく、たまたま恩師に教職を斡旋されて、ほかに就職先がなかったから引き受けたという、典型的なデモシカ教師である。それでも普通の小説なら、生徒との交流を通して使命感に目覚め、「生徒から色々なことを教えられ、人間として成長できました」ときれいにまとめるところだろうが、『坊っちゃん』は違う。〈おれ〉はあんまり成長しないし、生徒との間には連帯感のカケラも生まれない。そして赴任後1ヶ月で勝手に辞職してしまう(しかも辞表は郵送で提出)。 さらに「文豪作品=美しい日本語のお手本」という先入観もぶち壊してくれる。計算されつくした巧みな文章には違いないのだが、語り手の〈おれ〉が短気な江戸っ子という設定なので、悪口雑言のオン・パレードでなのである。〈おれ〉の悪態のうち2割くらいは正当な批判であり、そこを掘り下げればいくらでも深読みできると思うが、残りの8割はどう考えても単なる言いがかりだ。ポンポンと歯切れがよくユーモラスなのでついクスッと笑ってしまうが、松山を「不浄な地」呼ばわりは、漱石先生といえどもいかがなものかと思う。『坊っちゃん』を松山の観光資源として活用してもらうことで、罪ほろぼしになっているとは思うけれど。 とりあえず「明治時代から学級崩壊ってあったんだな」ということや、「3年以内に職場を辞める若者って昔からいたんだな」ということがわかった。ある意味、漱石ってやっぱすげぇ、と思わざるをえない。
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漱石の作品の中でも最も大衆的で最も親しまれている作品。主要な登場人物は全員欠陥を抱えている。そして自分は坊ちゃんに似ていると感じた。おそらく読者の誰もがうらなりや野太鼓、山嵐、赤シャツ、若しくは狸といった主要な登場人物の誰かに似ていると感じるであろう。そこがこの作品を今なお親しま...
漱石の作品の中でも最も大衆的で最も親しまれている作品。主要な登場人物は全員欠陥を抱えている。そして自分は坊ちゃんに似ていると感じた。おそらく読者の誰もがうらなりや野太鼓、山嵐、赤シャツ、若しくは狸といった主要な登場人物の誰かに似ていると感じるであろう。そこがこの作品を今なお親しまれるべき作品にしている理由だと思う。とにかく登場人物に自分の欠点が投射されていて愉快でたまらない。
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「気をつけろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」 赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事をいった覚はない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思...
「気をつけろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」 赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事をいった覚はない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
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