民衆の側の戦争責任 の商品レビュー
戦前戦中、そして戦後にも引き継がれた民衆の「日常性に埋没することによって政治的なるものから逃避」する姿勢を批判する。 そうやって主体的戦争責任から目を背けることを選択した日本の民衆は、その定着化の結果として、今日でも政治家以外の政治的発言を忌避するのではないか。 一方、本書は反戦...
戦前戦中、そして戦後にも引き継がれた民衆の「日常性に埋没することによって政治的なるものから逃避」する姿勢を批判する。 そうやって主体的戦争責任から目を背けることを選択した日本の民衆は、その定着化の結果として、今日でも政治家以外の政治的発言を忌避するのではないか。 一方、本書は反戦を訴える社会運動についても非日常的な運動スタイルが毛嫌いされること、献身と裏腹に有効性を持ち得なかったことの反省を促しており、有効性のある社会運動とはどんなものか考える必要を感じた。 また、侵略戦争を止めなかったばかりでなく、熱狂し、推進力にさえなった日本社会の後世の一人として、日常において主権者意識を自覚し、戦争を肯定する潮流に流されることはしまいと改めて思う。 本書でも1946年の伊丹万作氏の言葉が取り上げられるが、防衛費増大を多くの国民が支持するという昨今の風潮を見ると、正鵠を射た指摘であっても大勢には敵わないのかと落胆してしまう。適切な再発防止策を怠ったために私たちは誤ちの繰り返しに向かって進んでいってしまっているのではないか。
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