雪片曲線論 の商品レビュー
ニューアカという時代…
ニューアカという時代がものすごくわかりやすく感じられる。そんな本は中沢新一のなかではこれが一番かと。
文庫OFF
現代フランス思想、チベット仏教から、『ゴジラ』や『ゼビウス』にいたるまで、幅広い話題をあつかいつつ、自然のなかに秘められた潜在的な多様性を最大限に昂進させる思索を展開している本です。 冒頭に置かれている「切片曲線論」は、たえず自己自身から逸脱していく自然のイメージを、ルクレチウ...
現代フランス思想、チベット仏教から、『ゴジラ』や『ゼビウス』にいたるまで、幅広い話題をあつかいつつ、自然のなかに秘められた潜在的な多様性を最大限に昂進させる思索を展開している本です。 冒頭に置かれている「切片曲線論」は、たえず自己自身から逸脱していく自然のイメージを、ルクレチウスの思想やフラクタル図形などを自由に参照しながら描き出しています。 「la science angélique」は、特撮映画の『ゴジラ』やヴィデオ・ゲームの『ゼビウス』、細野晴臣の音楽、サーカスの魅力、さらには南方熊楠の思想などを自由に飛びわたりながら、思索することそれ自体の冒険的な魅力を実践的に語ったエッセイが集められています。 「高原のスピノチスト」は、著者自身のフィールド・ワークの報告をまじえつつ、チベット仏教について論じられています。 浅田彰とともに「ニュー・アカデミズムの旗手」と呼ばれた著者の思想が縦横に展開されていて、おもしろく読めました。
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そろそろ大学も試験シーズンに入り始める。もう入っているところもおおいかもしれない。そんな折に是非必読いただきたい本があるのだ。 それは中沢新一による「雪片曲線論」である。中沢新一を愛読する僕を最も楽しませてくれた本として、是非みんなにも読んでもらいたいのである。 し...
そろそろ大学も試験シーズンに入り始める。もう入っているところもおおいかもしれない。そんな折に是非必読いただきたい本があるのだ。 それは中沢新一による「雪片曲線論」である。中沢新一を愛読する僕を最も楽しませてくれた本として、是非みんなにも読んでもらいたいのである。 しかし、なぜ試験の折に紹介するのかと言うと、実はこの本を題材に僕は三つの講義のテストの論文を書いたのだ。 中沢新一の統一コンセプトは、世界の多様性ということであるが、それを彼は南方熊楠的思考で、あらゆる学問からそれについて説いているのだ。多様性を説明するために多様な方法を使うという、中沢的思考はあまりにも説得力がある。 この本の中で現れる『ゴジラ』や『ゼビウス』、『細野晴臣』などを彼独特の思考法で多様性の中へ押しこんでしまう、中沢新一のやり方はとてもおもしろい。 とにかく必読である。博物学、物理学、数学、生物学、宗教学、ありとあらゆる学問がこの本の中では違和感なく存在しており、彼が多様性を説くためのテクストとしてちゃんと価値を見出しているのだ。
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20年近く前、現代思想、ニューアカデミズムがブームだった頃に読んで刺激を受けた本。学術的でありながら文学的な表現で知的冒険に誘ってくれた。
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「雪片曲線」というのは、何かの文学的な表現なのかと思っていたら、数学用語であるらしい。それは、フラクタルな図形に特有にあらわれる曲線のことで、この本の前半部分は、その不思議な魅力と、自然との近似性について熱く語られている。かなり論文調の堅く難しい文章ではあるけれども、その面白さは...
「雪片曲線」というのは、何かの文学的な表現なのかと思っていたら、数学用語であるらしい。それは、フラクタルな図形に特有にあらわれる曲線のことで、この本の前半部分は、その不思議な魅力と、自然との近似性について熱く語られている。かなり論文調の堅く難しい文章ではあるけれども、その面白さは充分に伝わってくる。 あちこちの雑誌に掲載された原稿を集めた形になっていて、初出のものは1984年。この25年の間に、フラクタル幾何学という分野でいったいどれほどの進展があったのか、興味が出てきた。 第二部では、1980年代初期の雑多なカルチャーが語られていて、当時「スペースインベーダー」に引き続いて登場した「ゼビウス」についての考察は特に面白い。「茸」の分類不可能性など、様々な分野について、これもまた論文調に分析がまとめられていて、普段聞くことがないような話題ばかりが登場し、著者の幅広い関心が表れている内容だった。 【雪片曲線の作り方】 まず正三角形をおく。それに上下を反転させた三角形を重ねると六芒星ができる。その六芒星の一辺それぞれに、1/3の小さい三角突起を作る。さらに、またその一辺に1/3の三角突起を作り、それを数段階繰り返すと、雪片のような結晶模様が出来る。これが「コッホの雪片曲線」である。 真言密教などが潜在的にいだいているマンダラの思想を図像表現するには、これまで行われてきたような円や直線を組み合わせて描くユークリッド幾何学的な画法では、まったく不十分なのである。ひとつの空間を埋め尽くすような無数のスケールの渦巻きからなる怪物曲線を生成できる非ユークリッド的なグラフィック技法が必要になる。(p.30) 「雪片曲線」のおもしろさは、そのなかで極端な単純さと極端な複雑さが同居しているところにある。実際、この曲線は実にシンプルで規則的な動作を繰り返すだけで作られる。これに較べれば円の生成の方がはるかに複雑なプロセスをはらんでいるのに、私たちには円が持つ抽象的で単純な性質に「目が眩んで」そのとてつもない複雑さが見えなくなっているのだ。ところが「雪片曲線」の方はその作り方の単純さに反して、信じがたいほどの複雑さを内包している。なぜならその曲線が、無限小の領域に至るまで自己差異化のプロセスに貫かれている、というスタンダードな数学的思考にはとうてい手におえないようなパラドキシカルな性格を持っているためである。(p.74) レンズ研磨のテクノロジーがもたらしたこの「スケーリング」思想は、バロック的な「自然哲学」にふたつの重要な視点を与えることになったのである。まず「スケーリング」を変化させて、世界を高倍率で捉えていくと、世界はしだいに断片化し、フラクタル化してくる。つまり、粗大な視力にはつるつるでなめらかな「膚」としか見えなかった物質の表面が「スケーリング」を変化させると、でこぼこでギザギザをたくさん持った、少しも均質でない、あばた顔を見せるようになる。無数のすき間やら小穴やらが見えてくるようになるのだ。しかしそのすき間や小穴も、けっして空虚な空間ではなく、さらに「スケーリング」を変化させていくと、より微細な存在の連鎖によって、そこが埋め尽くされているのが見える。(p.90) 『ゼビウス』における物語性の喚起は、「引用」による喚起だ。ゼビウス軍基地の第三エリアを通過するとき、空中にはバキュラと呼ばれる板が多数回転しながら飛来し、プレイヤーが操るソル・バルウをおびやかす。このバキュラが、クラーク=キューブリックによるSF映画『2001年宇宙の旅』に登場する超意識体モノリスを「引用」していることは、ちょっとSFの知識がある人にはすぐ分かる。さらにゼビウス軍基地第七エリアにさしかかると、そこには美しい巨大な「ナスカの地上絵」が現れ、プレイヤーの内部にただちに「宇宙からのメッセージ」をめぐるSF神秘学の薀蓄を喚起するのだ。(p.188) 彼、細野晴臣はこんな風に考えているみたいだ。海の中には大きな目玉を持ったヤリイカの群が、膨大な数で回遊している。ヤリイカの目玉には毎秒数千ビットの情報がはいってくる。しかしヤリイカにはその情報を処理するだけの脳がない。では一体ヤリイカは何のために大きな目玉を開いて回遊しつづけているのか。ヤリイカをとおして地球が「見る」ためである。人間の脳や体だってそれと同じではないか、私たちは大脳をとおして自分がものを考えているように思い込んでいる。けれどそれは子供じみた思いあがりで、実は私たちの大脳をとおして思考しているのは、地球という大きな意識−生命体なのではないか。(p.206)
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中沢新一先生の多岐にわたる知識と思索がたっぷりとつまった一冊。けっこう前に出た本なのに、古い感じがしません。読むとたくさんの刺激が得られ、もっと勉強したい気持ちに。頭の良い人の文章は心地良く体に染みます。
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