藤村文明論集 の商品レビュー
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およそ三十歳前後の若年時から老年期(『夜明け前』が完成して南米へ出かけるまで)に至るまでの島崎藤村の文明論を集めたもの。といっても、藤村は文明論者ではない為、中身は日本文化賛美でもなければ西洋文化批判でもない、諸外国を観光してきた際に感じた気候や文明・風土などの感想を断片的に編纂したものである。 十数年の藤村の思考回路を追いかけるように考え方そのものを並べてくれており、連続して読んでいると藤村の思考の変遷が分かりやすい。 また、解説を読んでなるほどと思ったのが、藤村は日本文化を19世紀という文脈でかなり相対化して見ていたという事。漱石や鴎外の様な、近代に進む、という発想でもなく、在仏時に議論を重ねた河上肇のような日本文化至上という意見を持つという事でもなく、「自ずからなる」日本人の精神性を海外から流入してきた文化に学び、自分たちが持っているものを育てていこう、という発想があったことだ。これは、『夜明け前』にも表れている藤村の国学への造詣がそうさせているような気もする。どちらかを批判するのではないという精神自体、藤村らしさを感じた流れだった。 時に音楽・西洋文学・女性論を交えながら、近代とは何か、明治維新から先、日本人はどこへ進むべきなのかを百年も前に考えた。そうした文明への模索の軌跡を垣間見るだけでも、なかなか興味深かった。「いつの時代も自分のいる時代に満足することはないのでは」という思考は、現代でも教訓としたい一節。
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「夜明け前」のバックグラウンドを知り、小説と思想と哲学とが同居していた時代を感じる。 藤村は父の時代の19世紀日本的な思想に思い入れがあるようだ。それは春満、真淵、宣長に由来し篤胤で開花する国粋思想を信奉し、武家社会を暗黒時代と断ずる思想である。 しかし藤村は父たちの思想を歴史的...
「夜明け前」のバックグラウンドを知り、小説と思想と哲学とが同居していた時代を感じる。 藤村は父の時代の19世紀日本的な思想に思い入れがあるようだ。それは春満、真淵、宣長に由来し篤胤で開花する国粋思想を信奉し、武家社会を暗黒時代と断ずる思想である。 しかし藤村は父たちの思想を歴史的には一面的だと思っている。少なくとも社会的には明治末期までそのような一面的な思想に染まっていたと感じている。歴史は過去からの連続のうちに現在に至るのであり、そのうえで近代を統合するような思想を形成する必要があると感じている。 絶筆となった「東方の門」について、全体主義の時代に迎合したものであるように解説で述べられているが、藤村を含む同時代にとっては日本史全体を世界史にを包含するような当時の必然的な作品であったのかなと。
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