釈尊との対話 の商品レビュー
釈尊との距離感が非常に近く感じている著者ならではでしょうか、実在した悩んで解決を得た求道者だったという人間像が共感を覚えます。(P40に紹介されている「増支部経典3・38」「人間はまことに無知なもので、自分の身が老いゆき、逃れようもないものなのに、他人の老衰を見ると、恥じ、嫌らし...
釈尊との距離感が非常に近く感じている著者ならではでしょうか、実在した悩んで解決を得た求道者だったという人間像が共感を覚えます。(P40に紹介されている「増支部経典3・38」「人間はまことに無知なもので、自分の身が老いゆき、逃れようもないものなのに、他人の老衰を見ると、恥じ、嫌らしいと思う。しかし、私もまた老いゆき、老いから逃れようもないのだ。それなのに、ほかならぬ私が他人の老衰を見て面倒に思い、恥じ、嫌だと思っている。これは私に相応しいことではない。このようにみてとった時、青年期の若さの意気は消え失せてしまったのだ」これは全く今の気持ちに当てはまっています。釈迦の悪魔との対決の場面も聖書に似ていますが、悪魔がどこかユーモラスに感じるのは悪の象徴・権化ではなく、自分自身の煩悩だという著者の説明には全くその通りだと感じました。釈尊がヒンズーだった!という意外に見える言葉も、イエスがユダヤ教徒だったということと同意味になりますね。
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