ファディッシュ考現学(1) の商品レビュー
「ファディッシュ考現学」は1985,86年に朝日ジャーナルに連載された文章をまとめたものだ。 偏狭なアカであったsatoboも当時同誌を読んでいたのだけど、田中康夫の書くこの連載や噂の真相での「ペログリ日記」を偏見を持って「なんだよ田中康夫ってチャラチャラしやがってよぅ」となかば...
「ファディッシュ考現学」は1985,86年に朝日ジャーナルに連載された文章をまとめたものだ。 偏狭なアカであったsatoboも当時同誌を読んでいたのだけど、田中康夫の書くこの連載や噂の真相での「ペログリ日記」を偏見を持って「なんだよ田中康夫ってチャラチャラしやがってよぅ」となかば飛ばし読みをしていた。 ところが今あらためて読んでみると、大変面白い。 実に的確で嫌みが効いて冷静に時代を観察している。 むしろ田中康夫を嫌っていた方が、チャラチャラして浮ついた考え方で世の中を浮遊していた事が、今となってはわかる。 85年といえばバブルが始まる時である。 田中康夫は29歳。 今の感覚だと、田中の文章は29歳の書く文章よりずっと若く感じるし、それでいてずっと老獪にも感じる。 だからバブルの時代を他人から見ると流されているように見えて、実のところ冷静に舵取りをしていたのが今となってはわかる。 つまり当時田中は世間から浮いていたんだな。 だから市井の民が”浮かれている”のと同調せずに批判を浴びたんだと思う、逆に。 記憶にあるように、その後世間はお祭り騒ぎになり、夢から覚めて地の底を現在も這いずり回っているのだけれど、田中康夫は知事になったり、政治家になったりしてもどこか世間では浮いている印象がある。 つまり田中康夫にとっては現在も世間は当時と同じようにファッド(物好きな一時的で気まぐれな流行)を考察する対象であるのかもしれない。 いや、むしろそうであってもらいたい。 そしてまた現在をおおいに論じてもらいたいと思うのだ。 最悪なのは、すでにもうファディッシュ考現学で論じるようなものが現在の日本にはないと言われる事だけどね。
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