プロタゴラス の商品レビュー
「徳とは何であり、教えられるものであるのか」というのは、終始ソクラテス=プラトンを襲い続けた問いであり、興味を持ち続けた問いだ。 プロタゴラスでも、この主題は反復されていて、 徳が知識だとすれば教えられる、 でも徳は知識ではないのだ、 という主張が繰り返されている。 でもここ...
「徳とは何であり、教えられるものであるのか」というのは、終始ソクラテス=プラトンを襲い続けた問いであり、興味を持ち続けた問いだ。 プロタゴラスでも、この主題は反復されていて、 徳が知識だとすれば教えられる、 でも徳は知識ではないのだ、 という主張が繰り返されている。 でもここで言う「知識」とは、 意味と語が一対一対応した伝達可能なもの みたいな形式的な設定を与えられているので、 臨機応変であるはずの「徳」は捉えられない、という帰結が必ず出るようになっている。 徳は、そういう代入可能な記号ではなくて、「価値」の問題のはずなので、解き方が間違っている。 だからエロースの方へ中期はゆくのかもしれない。 でもまた中期では政治論の中の「正義」として似たような議論になって、「身の丈に合うこと」という答えが一応与えられている。 『プロタゴラス』は、非常にパフォーマンス的で遊びに満ちた構成をしているので、プラトンの1冊としてまずこれを読むのはお勧めできないかなと。
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ソクラテス先生ソフィストの大家と対決の巻 徳は教えることが出来るか?というテーマで議論する。 今まで読んだ本は親しい友人との議論だったが、 この本ではキングコング対ゴジラさながらに 若いソクラテスがソフィストの大先輩に論争を挑む。 ソクラテスは「徳は教えられない」という立場 ...
ソクラテス先生ソフィストの大家と対決の巻 徳は教えることが出来るか?というテーマで議論する。 今まで読んだ本は親しい友人との議論だったが、 この本ではキングコング対ゴジラさながらに 若いソクラテスがソフィストの大先輩に論争を挑む。 ソクラテスは「徳は教えられない」という立場 プロタゴラスは「徳は教えられる」という立場で 意見を戦わせ、途中から「徳とは何か?」になり、 議論している内容がどんどん変わっていって、 読者は混乱させられて何が何だか分からなくなるが、 最後にきちんとソクラテスが話をまとめてくれる。 本当にプラトンの文章の構成方法は見事である。
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高校生のときにソクラテスの弁明を読んでから、大学で概説的にのみ学んだソクラテスを読み直してみた。 まず注意しなきゃいけないのが、彼(というか古代のインテリたち)は基本的にショタが好きだということだ。いきなり男のことを美しいだの愛しているだの言い出すので、そこを知らないと困惑す...
高校生のときにソクラテスの弁明を読んでから、大学で概説的にのみ学んだソクラテスを読み直してみた。 まず注意しなきゃいけないのが、彼(というか古代のインテリたち)は基本的にショタが好きだということだ。いきなり男のことを美しいだの愛しているだの言い出すので、そこを知らないと困惑する。 というネタは置いといて、ソクラテス、ヒポクラテス、プロタゴラスの掛け合いはかなり面白い。人をイラつかせる天才のソクラテスだけど、それに我々がイラつくのは、彼の中にある種正しさを見出しているからだと思う。
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ソクラテスものといえば、『ソクラテスの弁明』しか読んだことがなかったのだが、あれは法廷という特殊な状況に置かれた中でのソクラテスの言動を描いたもの。それに対して本作は、彼がまさに訴えられるもととなった、彼の普段の言論活動を描いており、ソクラテスとは何だったのかを知るのに役立つ。彼...
ソクラテスものといえば、『ソクラテスの弁明』しか読んだことがなかったのだが、あれは法廷という特殊な状況に置かれた中でのソクラテスの言動を描いたもの。それに対して本作は、彼がまさに訴えられるもととなった、彼の普段の言論活動を描いており、ソクラテスとは何だったのかを知るのに役立つ。彼は、当代随一のソフィストであるプロタゴラスとの対話で、徳について議論するわけだが、その内容以上に興味をひかれたのは、彼が対話の方法にあれこれこだわっている点だ。すなわち、物語でなく論理での議論を、長広舌でなく短文でのやりとりを望んだ。また仮定を前提に議論することの無益さや、議論に詩を持ち込むことの害を語った。プロタゴラスは最後まで大物ソフィストとしての品格を保とうとしているが、ソクラテスの議論の進め方に対して次第にイライラする様子が描かれていておもしろい。
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ブックオフにて購入。他のプラトン諸作に比して際立った対照をなしている二点を、訳者自身の解説より抜粋する。"ソフィストとソクラテスの決定的な差異は、プロタゴラスに対するソクラテスの丁重な態度の内にいわば包み込まれるようにして、尖鋭な対立に顕在化されるまでには至らず&quo...
ブックオフにて購入。他のプラトン諸作に比して際立った対照をなしている二点を、訳者自身の解説より抜粋する。"ソフィストとソクラテスの決定的な差異は、プロタゴラスに対するソクラテスの丁重な態度の内にいわば包み込まれるようにして、尖鋭な対立に顕在化されるまでには至らず""哲学的問題の追求のためには全体としてどっちつかずの様相を示しているといえる議論の進行の中で、明らかに脱線的な遊びの要素や、他の対話篇に見られるソクラテスないしプラトンの思想との食い違いのようなものも、いろいろと目につく"
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当代随一と仰がれるソフィストの長老プロタゴラスがアテナイにやって来た。興奮する青年にうながされて対面したソクラテスは、大物ソフィストや若い知識人らが見守るなか、徳ははたして人に教えられるものか否か、彼と議論を戦わせる。古来文学作品としても定評あるプラトンの対話篇の中でも、とりわけ...
当代随一と仰がれるソフィストの長老プロタゴラスがアテナイにやって来た。興奮する青年にうながされて対面したソクラテスは、大物ソフィストや若い知識人らが見守るなか、徳ははたして人に教えられるものか否か、彼と議論を戦わせる。古来文学作品としても定評あるプラトンの対話篇の中でも、とりわけ劇的描写力に傑れた一篇。
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ソクラテスは、分が悪くなると、話題を変えたり、立ち去ろうとするのだが(それも、すべて相手のせいということになっている)、なんやかんやで議論は進み、最終的に、善とは知識である、という結論に達する。 善=快楽、悪=苦痛 であり、 悪行=自ら苦痛を選択すること=快楽計算の失敗=無知 ...
ソクラテスは、分が悪くなると、話題を変えたり、立ち去ろうとするのだが(それも、すべて相手のせいということになっている)、なんやかんやで議論は進み、最終的に、善とは知識である、という結論に達する。 善=快楽、悪=苦痛 であり、 悪行=自ら苦痛を選択すること=快楽計算の失敗=無知 であり、 よって、善=知、悪=無知 である。 ということらしい。 いやそんなことよりも、、ソクラテスの誘導尋問、非妥当な推論、意味のすり替え、などなどが面白かった。
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行動の選択において、幸福の総量を計る計量術が知識である、幸福の量を最大化する選択肢を選ぶのに役立つもののみが知である、幸福の総量が最大になる道を知っていてその他の道を選ぶことはあり得ない、悪を悪であると知っていながら悪を行う者はいない、とかそういうはなし
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
プロタゴラスとソクラテスの対話。 さすがのソクラテスなんだけど、プロタゴラスも説得力のある話を繰り出すので聞き応えがあります。 徳は人に教えることのできるものかどうかを考えるにあたっては、まず徳がどういうものかを考えないといけない。 徳が知識であるなら人にも教えられるだろうが、はたしてそうなのかどうか。 この書ではこの議論の結論を出すに至っていないので残念ながら分かりません。 「すぐれた者になることならば、むずかしいけれど可能なのであるが、すぐれた者であるということは不可能なのだ」という考え方にはハっとさせられました。 すぐれた者でありつづけるのは神だけという考えがあるのですね。 だから欠点を持つ人間も寛容に認める―その人が不正をおかさない限りは。 人間は善い事柄を知っていながらも、快楽に打ち負かされてそれを行おうとしないことがあるということについては、つまり真の知恵を持っていなかった=「無知」だったから。
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他の対話篇と違って、ソクラテスとプロタゴラスが対等にやり合ってるのが面白い。あまり理屈っぽいところまで行かないバランス感覚があって、読みやすい。 「部分」というのは、顔の部分のように異なるものが合わさって全体になるという意味か、金塊のように一部も全体も同じという意味か、と確認す...
他の対話篇と違って、ソクラテスとプロタゴラスが対等にやり合ってるのが面白い。あまり理屈っぽいところまで行かないバランス感覚があって、読みやすい。 「部分」というのは、顔の部分のように異なるものが合わさって全体になるという意味か、金塊のように一部も全体も同じという意味か、と確認するくだりが好き。
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