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VERSION(文庫版)(下) の商品レビュー

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2016/06/26

ぜひ生きているうちにお話がうかがいたかった。 『マンガは哲学する』で、『あっかんべぇ一休』の一コマがとても印象的で。調べたら、『石の花』とこの『VERSION』が取り上げられていた。 初出が1990年代初頭。ちょうど遺伝子情報の解明だとか、コンピュータの普及などの兆しが見え始めて...

ぜひ生きているうちにお話がうかがいたかった。 『マンガは哲学する』で、『あっかんべぇ一休』の一コマがとても印象的で。調べたら、『石の花』とこの『VERSION』が取り上げられていた。 初出が1990年代初頭。ちょうど遺伝子情報の解明だとか、コンピュータの普及などの兆しが見え始めていた頃だろうか。 ”わたし”って何だろう。”生きる”って何だろう。そのことを真剣に問い続けた、そんなひと。ことばの不思議に憑りつかれて、それをずっと探究し続ける、ひとりの考える人間。 存在と命をめぐる戦いと追究。坂口氏はそのどん詰まりまで辿りついてしまったんだと思う。なんでここに”わたし”がいるんだ。どうしてここに”わたし”がいるってわかるんだ。考えれば考えるほどすり抜けていってしまうこの問いを、掴んだまま離さない坂口氏の情熱。そして、読んでいくほどにわからなくなる問い、それが面白くてたまらない。考えるほどにこの「わたし」という存在が顔を出す。どんどん広がっていく。けれど、その中でひとつの声がする。「なぜそれがわたしなのか」。わたしはそれを否定する。「あれはまぼろしだ。わたしが作り出したものだ」すると声は答える。「ではなぜあなたはそちらでわたしはこちらなのか」そうして声はけらけらと笑って海の底へ消えてゆく。 読んでいけばいくほどどん詰まりになって息ができないほどつらくなるようなものではなく、これでいいんだと思えるようなひとつの浄化というか諦めのようなものが感じられる。それは、あの「我素」というものを、機械だとか、命の代表だとかそういうものではなく、真に存在するものとしてはじめから認めているからこそできるのだと思う。不思議に感じているからこそ、誰よりもその魅力と尊厳をもって描くことができる。おそらく、坂口氏はどこかでその存在を感じていたに違いない。手塚氏のアシスタント時代からなのか、もっと前なのか、それはどうでもいい。しかし、一度存在の魅力に憑りつかれてしまったら、もう逃れることはできない。池田某と同じ匂いがした。 彼女はことばでもって生きた。坂口氏はマンガでもって生きた。あの木のイメージ、ことばの尽きる場所というものはとてもじゃないけれど、ことばでは伝えられない。だからこそ、マンガに託した。 ところどころ、我素の定義とかそういうところで、無理にことばに押し込もうとしているところがあるように感じられた。どうも納得がいかない。どこか煮え切らない感じ。一応の終わりをこの作品は見せているが、こんなことで簡単にすべてが解決した、わかった、というような性格のひとではないはずである。だからこそ、彼は書き続け、そして死んで行った。マンガをもって、彼はこの不思議な人生という海に立ち向かった。これを仕事と言わずに何と言えばいいのか。もっともっと生きて一緒に考え続けたかった。

Posted byブクログ